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柳井は夢を見ていた。 その夢の中では、現実の世界と同じように満月がその地を照らしていた。 川原に向かう友矩の後を、音もなく歩くのは兄である十兵衛。 会話はない。 しかし、これから殺し会いをしようというのに、その兄弟の顔には迷いはなかった。 そして兄弟は川原についた。 ここなら声も川のせせらぎに遮られ、周囲に聞かれることも無いだろう。 兄弟はしばし、言葉を交わし、剣を携え、対峙した・・・そして、何事もなく数分が過ぎる。 一流同士の戦いでは、その仕掛けるタイミングが重要だという。 後の先を取るのではない。 先の先、すなわち相手の仕掛ける一瞬のさらに前に仕掛けるのだ。 そして、その膠着を嫌う十兵衛は、僅かな動きを感じ取ったと同時に仕掛けた。 それを余裕をもってかわす友矩。 先ほどの僅かな動きは誘いであったのだ。 しかし、それは十兵衛も分っている。 十兵衛の身につけた柳生の剣は攻めの剣。 守りに入ってはその真価は発揮出来ないのだ。 いわば策をも食い破る必殺の剛剣。 攻めにこそ、十兵衛の剣の真髄があった。 しかし、友矩の剣はその剛の対極にあった。 いわば柔の剣。 柳の枝に例えたその剣は、押せば押すほどしなり、その枝を折ることはかなわないという。 その枝は、十分なしなりを得た時、押していた者を襲うのだ。 相手の剣を受けたりせずに、かわすこと。 そこに友矩の剣の真髄があった。 その十兵衛の剛剣を友矩は幾度となくかわし、それを追うかのように十兵衛の剣は切り込んでいく。 そんな事が20度も続いた頃であろうか・・・。 攻め疲れ、息を乱し始めた十兵衛は冷静さを失いはじめていた。 どのように切り込んでも、友矩はまるでそれを予知していたかのように、かわす。 友矩はまるで舞いを踊るかのように、変幻自在に動くのだ。 十兵衛はまるで実体のない物の怪を相手にしているかのような気分を味わっていた。 「おのれ・・・なぜ攻めぬ! ワシを愚弄するつもりか、友矩!」 「いいえ、兄上。 これが我が剣なのです」 「かわす事しか能のない剣など、柳生の剣ではない!」 「いいえ、これもまた柳生の剣なのです。 現に兄上・・・息が乱れてきておりますね?」 「・・・いいだろう。 その剣でワシを超えてみせよ」 そう答えると、十兵衛は今までの無行の位を捨て、腰を落して屈み込むような姿勢をとった。 「無刀取りですか・・・兄上、私に無刀取りは効きませぬ」 そういうと、こちらも無行の位を捨て、突きの構えを取る。 「我が無刀取りは、柳生の無刀取りにあらず・・・参るぞ!」 そういうと、十兵衛は低い姿勢のまま突っ込んでいく。 その姿に何を感じたのか、友矩は恐怖を感じたかのように真っ青な顔で背後に飛びのく。 しかし、その動きは宙で乱れた。 それにつけ込むかのように十兵衛は突っ込んでいく。 それは一瞬の事だった。 飛びのく友矩を追う十兵衛の動きは、今までのものと比べものにならなかった。 着地した友矩は片手で剣を突き、その剣は・・・宙を舞った。 しかし、その反対の手には、脇差が握られていたのだ。 返す刀で、友矩の腹を深く切った十兵衛に対して、友矩はその脇差を突き出す。 脇差は狙い違わず、十兵衛の右目に刺さった。 公約通り、その目は奪われたのだ。 「今までの剣を超える、あの剣・・・兄上、見事です」 「お主を超えるには、ワシといえども策が必要だ。 お主はその寸前までのワシの剣の動きに惑わされたのだ。 しかし、友矩・・・強くなったな。『柳枝の剣』生涯忘れまいぞ」 「兄上・・・さらばです」 そういうと、友矩は笑みを浮かべたまま目を閉じ、その場にひざまずくようにして倒れた。 その背には、黒光する棒手裏剣が刺さっていた。 それが友矩の動きを阻害したのは間違い無い。 それがあってすら、友矩はその気になれば、十兵衛の目だけでなく命までも奪えたのだ。 そうしなかったのは、自分が死ぬべきであると分っていたからであろう。 そして、その事は十兵衛にも分っていた。 友矩が死ぬまで、その事に気付かぬフリをしていたに過ぎない。 それが彼なりの優しさであったのだ。 十兵衛は、その目から流れる血も拭わず、背後の林を振り返った。 「・・・貴様ら、この果し合いを愚弄した覚悟は出来ているのだろうな?」 その声に反応したかのように、黒づくめの男達は逃走にかかる。 そして、今の十兵衛にその者を追う力は残っていなかった。 「おのれ・・・何者かは知らぬが、覚えているがいい。 幾千もの夜を超えようと・・・ワシは貴様らを許さぬ! 一人残らず地獄へ送ってくれるぞ!!」 それが、夢の伝えた真実であった。 服も着替えずに刀を抱いてソファーで眠っていた柳井は、その十兵衛の慟哭を最後に目が覚めた。 周囲は闇に包まれており、窓から差し込む月光の柔らかい明かりは闇になれた目に優しく映った。 あそらく今日は満月なのであろう。 満月の夜に、遥かな過去にその月の下で行われたであろう、戦いの一部始終を知る・・・。 それは相応しいタイミングであったのかもしれない。 そう感じながら、ふと鏡を見た時、柳井は己が涙を流してるのに気付いた。 「・・・これは・・・」 その涙は、友矩の心残りのためであったのだろうか? あるいは、十兵衛の一世一代の大勝負に余計な手出しをされた悔しさからきたものなのだろうか? 「・・・ちがう。 十兵衛は邪魔されたから怒っているだけじゃない。 彼は・・・兄として、自分自身だけの手で友矩を・・・死なせてやりたかったんだ。 そして、友矩も・・・誰にも邪魔されず、十兵衛と本気で戦いたかったんだ・・・。 彼らは、間違いなく・・・剣士だったんだ」 それを理解した時、柳井の心には言い様もない悔しさと、悲しみが浮かんだ。 それは一見矛盾している考えかもしれない。 しかし、彼らは剣士が剣士として生きられる時代にはいなかったのだ。 戦国の世が終わり、世は泰平となり、剣士は剣士であるだけで存在価値のある時代は終わっていた。 そんな中を、不器用に生きた十兵衛と、恋に生き、天下万民のために死ななくてはならなかった友矩。 そんな彼らの最後の望みが、天才と呼ばれた者同士、雌雄を決する事だったのだ。 そして、それは邪魔された。 やり直しなどきくはずもない。 なぜ、十兵衛がここまで怒り、なぜ・・・数百年前かの復讐に走ったのか・・・。 それが、柳井には痛いほど分ってしまったのだ。 「止めなくては」 それは柳井の意志だったのか、あるいは・・・。 剣を携えた柳井は、あの日の友矩と同じように白の胴着を着て家を出る。 そして、目の前にある道場に入ると、正座して目を閉じた。 そんな彼を静かに見つめる者がいた。 「・・・自分から死に急ぐヤツは、愚かだという。 お前もそのクチか?」 その声をかけたのは来須。 背後にはジャニスも控えていた。 それを気配で感じ取った柳井は、静かに答えた。 「これが因縁の終着点なんです。 私は、夢を最後まで見て、なぜ私が友矩の立場からあの事件を見ていたのか・・・。 それをようやく理解しました。 私は・・・彼に、友矩に代理人として選ばれたんです。 私は彼の代理人として・・・あの人を止めなくてはならないんです」 そう答えた柳井は、昼間とは別人のようになっていた。 あるいは、彼には友矩の霊が宿ったのだろうか? 「だから、待つのか? ここに来るという保証はどこにもないぞ?」 「いいえ。 彼は今夜、きっと来ます。 おそらく、今度は・・・」 その言葉に答えるようにして、道場の床から青白い霊気が立ち昇った。 その霊気の中心には、一本の日本刀。 その刀身は青白い輝きを放っており、この世のものとは思えない幻想的な風景を作りだしていた。 「来たか・・・」 そう呟きながら、懐から銃をと抜こうとした来須を、柳井の視線が止めた。 その視線には迷いがなく、来須のやろうとしている事を批判しているかのようだった。 「・・・分った。 検分役にまわってやる」 その答えに、嬉しそうにうなずく柳井に対して声はかけられた。 『待たせたな・・・邪魔者は全員始末した。 これであの時の決着、心置きなくつけられるというものだ。 ・・・のう、友矩?』 「はい、兄上。 今度は手加減などいたしませぬ。 覚悟めされよ」 『しばらく見ぬうちに言うようになったな、友矩。 まあ、いいだろう。 そうでなくては面白くない』 その声と共に、床から突き出すように生えていた日本刀の周囲の霊気が何かを形成していく。 それは、遠い昔に死んだはずの十兵衛の姿であった。 その全身は青白く輝いており、その瞳には執念を表すかのような赤光が一対。 その目は、あの日の再現をするかのように、潰されてなどいなかった。 「・・・我が『柳枝の剣』、超える事が出来まするか? 兄上」 そう告げた柳井は、ゆっくりと立ち上がる。 そんな柳井に、十兵衛は心底嬉しそうに答えた。 『余計な気遣いは無用だ・・・参るぞ、友矩!』 そう吠えると同時に、亡霊はその刀を構えて柳井に突っ込んでいく。 それを、抜き討ちで受ける柳井。 こうして、数百年前の戦いは、再び始まった。 その戦いは、最初の数合で優勢が明らかになった。 相手は疲れを知らない亡霊、かたや友矩の剣の全てを知るとはいえ生身の人間。 柳井に勝ち目などある筈も無い。 現に柳井は、すでに肩で息をしていた。 『あの時とは逆だの?』 「なんの、まだまだです」 『その心意気や良し! ワシも我が剣の全てをもって答えようぞ!』 そういって斬りつけられる剛剣をなんとかかわす柳井。 その足元は、友矩のようにはいかず、非常にたとたどしかった。 どうやら、知識としては知っていても、それを再現するだけの技量は足りないようだった。 所詮、天才の剣はその当人にしか操ることは出来ないのだろう。 「いいのかい? あの人、このままだと殺されるよ?」 「オレ達は検分役だ。 それに、こうでもしないとあいつを完全に滅ぼすことなど出来はしない」 「・・・甘いね。 有無を言わせず撃ち殺せばいいのにさ。 あいつは、なぜか今回に限って霊体のまま現われている。 今ならアンタの銃だって通じるんだよ?」 「それは柳井も、十兵衛も望んでなどいない。 それに、これが男の価値観ってやつなのさ」 「まったく・・・理解出来ないねぇ」 「それに、オレ達には、別にやることもあるしな・・・」 「なんだい? それは?」 「まあ、もうしばらく後の話しだ。 今はこの果し合いを・・・」 そんな外野の声も聞こえないのか、柳井は必死に記憶の中から使えそうな技を探していた。 そんな集中力を欠いた状態でなんとか出来るような相手ではないのだが・・・。 それでも、柳井はなんとか柳生の技で戦おうとしていた。 そんな迷いを感じ取ったのか、来須は柳井を叱咤した。 「そんな事で、そいつを止められるのか!? 迷うくらいなら技など捨てろ!」 その声で、ようやく自分のとるべき方法に思い至った柳井は大きく飛び下がると、今までの無行の位を捨てた。 そして、自分本来の型である青眼に刀を構えると、静かに告げた。 「柳生十兵衛殿。 私は左門友矩殿の意志を継ぐ者でしかありません。 それゆえに、大事な事を忘れておりました」 『なにをだ?』 「私は・・・柳生の剣技を知っているとはいえ、柳生の剣士ではありません。 私は柳井流の剣士なのです。 そんな私が友矩殿の真似事など出来るはずもないのです。 ですから、私は我が柳井流の全てをかけて・・・アナタを止めてみせる」 その言葉を聞いた、十兵衛は振り上げていた刀を降ろすと、静かに答えた。 『・・・あの時の再現など、所詮は夢物語りだったのかもしれんな』 「いいえ。 友矩殿は私に真実を伝えました。 それは彼がアナタに心の平穏が訪れる事を望んでいるからだと、私には思えるのです。 ですから・・・私は私なりの方法で・・・アナタを超えてみせる!」 そういうと、柳井は静かに間合いを詰めていく。 『いいだろう。 柳井の剣士よ、我が柳生の剣・・・超えてみよ!』 そして、十兵衛は腰を落し、無刀取りの構えに入る。 それはまさにあの日の再現であった。 一足の間合い(踏み込めば斬れる間合い)に踏み込んだ柳井に、十兵衛の無刀取りが襲いかかる。 それに逆らわずに、剣を手放した柳井の刀は宙を舞う。 しかし、その手はまだ跳ね上げられていない。 それが、柳井の狙った瞬間であったのだ。 十兵衛が振り上げた刀を返そうとした瞬間、柳井は右手の親指で十兵衛の右目を突いた。 その衝撃で動きの止まった十兵衛を、右手の親指を抜くと同時に、左手で胸を突いて吹っ飛ばした。 それは、はるかな過去にあった本来の無刀取りの発展版であった。 本来、無刀取りというのは素手で帯刀した相手に勝つ方法である。 その技は、相手の剣の柄を突き、刀を飛ばした後に、心臓を突き、相手の呼吸を止めるという技である。 技の性質上、柄が自分の方に向かない突きに弱いという弱点はありながらも、その技は不敗を誇ったという。 その唯一の弱点である突きをさばくために小太刀を併用するという道を発展させた裏柳生流の十兵衛の無刀取り。 それに対する柳井流の無刀取りは、その予備姿勢(腰を落す)をひたすら排除ししただけのものだった。 寸前まで無刀取りだと悟らせない事こそが、その技の奥義であったことを十兵衛が知るはずもない。 結局は、時代と共に研鑚され続けた技の勝利だったのだろう。 吹っ飛ばされて床に転がる十兵衛の亡霊は、それからしばらく動かなかった。 そして、ゆっくりと笑い出した。 その笑い声は、どこまでも明るいものだった。 『ハッハッハッ、参った。 ワシの負けだ。 よもや無刀取りで負けようとは思わなかったぞ』 その声に、息を弾ませて答える柳井。 「いえ、全ては友矩殿からアナタの無刀取りを教えてもらっていたおかげです」 『そうか・・・ワシは結局あいつを超えられなかったのかもしれんな』 「いいえ、あなたはりっぱな剣士です」 『フッフッフッ・・・全ては・・・夢のまた夢よ・・・。 友矩・・・待っておれ・・・決着は冥土で・・・つけ・・・よう・・・ぞ・・・』 そういうと、十兵衛の亡霊は溶けるようにして消えていった。 それを確認した柳井は、床にへたりこむようして倒れこんだ。 いくらその太刀筋の全てを知っているとはいえ、さすがに剣豪。 相手をするだけで精一杯であった。 もはや柳井には、動く体力は残っていなかった。 「や、やりました・・・来須さん・・・って、あれ?」 その道場の中には二人の姿はなかった。 そんな道場を覗きこむ一人の男がいた。 『おのれ、友矩め、死んだ後にまで余計な真似をしおって・・・』 その姿は陽炎のように揺らめく。 彼もまた亡霊であった。 「・・・やはり、もう一人いたか」 その声に驚いて振りかえる亡霊。 一々やることが人間臭いのはなぜであろうか? 『き、貴様は・・・』 そこには銃を手にした来須と、杖を構えたジャニスがいた。 「なにを狙っての事かは知らんが・・・柳生宗冬(むねふゆ)、貴様には正々堂々と戦う勇気はないのか?」 『なにをほざく! 今こそ柳生一族が一丸となって世をひっくり返す時がきたのだ! もう、あんな色ボケ君主などに仕える気はない!』 「いつの時代の話しをしているだい? アンタらの時代はとうの昔に終わったんだよ?」 「死人は死人らしくあの世とやらで、勝手に殺し合いでもなんでもしているがいい」 そういうと、来須は容赦なくその亡霊に銃を撃ち込んだ。 『お、おのれぇええぇええぇえええぇえぇ』 それでもしぶとく逃げようとするところに・・・。 「聖者と聖霊の御名を持って魔を滅ぼせ! アーメン!」 「地獄の猟犬、黒犬よ! 闇よりきたりて敵を襲え!」 二人がかりの攻撃が炸裂し、その亡霊は跡形もなく消滅した。 「まったく・・・」 「十兵衛の方がよっぽど強そうだったねぇ」 そうため息まじりにぼやいているところに・・・。 「く、来須さん! あれほど街中では銃は撃たないでって言ったじゃないですか!」 厄介な相手が現われた。 刀を振り回してばかりいたから、お忘れかも知れないが、彼は現職の刑事である。 そんな彼の家から銃声が聞こえたら・・・。 これは大問題である。 「そういえば、お前・・・結界張ったか?」 「・・・忘れてたねぇ」 どうやらいつものノリでやってしまったらしい。 前日まで銃声など当たり前の地域にいたせいで、その事をすっかり失念していた二人だった。 「どうするんですかぁ〜、私クビになっちゃいますよぉ〜」 そんな泣き事を言う柳井に、先程までの威厳らしきものはなかった。 「しょうがない。 責任くらいとってやるか・・・」 「じゃあ、私はフレデリックさんに連絡しておくよ」 こうして、その夜の死闘はなんとも締まらない終わり方をしてしまった。 警察署に向かう車の中で、柳井は疑問に思っていた事を聞いてみた。 「なんで来須さんは、柳生宗冬が事件に関係していると思ったんですか?」 それはもっともな疑問であった。 「ん? ああ、その事か。 事件を詳しく調べれば調べるほど、昼間の事件がおかしく感じられてな・・・。 今までは、操った者を出来るだけ無傷で開放していたのに、今日のヤツは殺されるまで暴れ回ってた。 しかも、被害者には無関係のヤツまで含まれていた。 偶然にしてはおかしいと思ってな・・・。 それで、色々調べてみたら、もう一人心残りを持って死んだヤツがいた。 それが・・・宗冬だったんだ。 もっとも、こっちは友矩へ対する間接的な怨みが復活の原因だったんだろうがな。 コイツらを死んだ後に封じなかった徳川の失策の代償が、今ごろになってやってくるとはな・・・」 「それで、ですか?」 「それに、オレはお前の勘を信じると言った。 お前は夕方の殺人鬼が十兵衛でないといった。 それでな・・・もう一人いるんじゃないかと思ったんだ」 「でも、どうして? 宗冬は夢の事件には関係していません。 怨みようがないでしょう?」 「いや、それが大アリだったんだ。 あいつはな・・・一生剣の振れない体にされたんだ。 家光の生涯最後の慶安御前試合でな・・・。 相手は宗冬が総帥を務める江戸柳生の存在を快く思わなかった尾張柳生の総帥だったそうだ」 家光は生涯何度も御前試合を行った。 それは剣術に並々ならぬ興味があったせいなのだが、この時ばかりは話しが違った。 家光は、柳生宗矩に殺された左門友矩の復讐をする機会を虎視眈々と狙っていたのだ。 しかし、惣目付である柳生宗矩に過去の悪行をばらされては、天下がひっくり返る。 そこで、彼が死ぬまで、ひたすら待った。 そして、その時がやってきたのだ。 しかし、家光ももう高齢。 出来ることなどたかだか知れていた。 せいぜい、柳生藩に与えられていた石高を1万以下に落し、大名から転落させる程度のことであった。 そして、その総仕上げとして、憎き宗矩の子・宗冬を御前試合の場で殺そうと画策したのだ。 坊主か憎けりゃ袈裟まで憎いとは、まさにこの事であった。 その策略とは、こうだ。 まず宗冬に尾張柳生の剣士が御前試合でお前を殺そうしていると噂を流した。 尾張柳生は江戸柳生の抱える裏柳生の存在を快く思っていなかった。 それもあって、臆病な性質であった宗冬は先走ってしまったのだ。 裏柳生の刺客を、事もあろうに同じ柳生の者に対して送ってしまったのだ。 相手は激怒し、これを退けたという。 しかし、その時の傷が原因で、その人物は子を残せない体になってしまった。(注意:その者は男である) そして、御前試合。 運命の一瞬、その人物は咄嗟に家光の狙いを悟り、宗冬の手を砕くに留まった。 それが、慶安御前試合の背後にあった陰謀であった。 「・・・なんか可哀相ですね」 その言葉に含まれるのは、悔しさ、哀れみ・・・そして、悲しみ。 事件の全てを知っている者にだけ口に出来る言葉であった。 「男に狂った君主の目の仇にされた柳生一族は哀れだとは思うがな・・・。 それでも、今の時代の人間を殺していいという法はない。 十兵衛の方はまだ救いがあったが、あいつはな・・・」 出来るだけ、自分の復讐に関係のない者を殺さないようにしていた十兵衛。 再び振ることの出来るようになった剣に狂った宗冬。 そんな彼らを止めてもらえる事を祈り、夢に託した警告と助言を送り続ける事しか出来なかった友矩。 なぜ、このような事になったのか・・・。 やり直しのきかないのが人生だというなら、それはどこまでも悲しかった。 「でも、なんで今だったんでしょうね?」 「それはオレも不思議に感じている。 だが、推測は出来る」 「・・・どういう事です?」 「妖怪どもに力を与える何かが、あったのさ」 「はあ・・・」 「まあ、お前には関係のない話しだ」 昨年、東京の地に龍脈の力が満ちたのは、裏の業界では有名な話しであった。 その原因となった男は柳生の姓を名乗っていたという・・・これは偶然だろうか? そして、この地を大地震が襲った日。 某博物館から一振りの刀が消えた。 その刀の銘は『三池典太』。 刀は武士の魂だと誰かが言った。 その刀は数百年の時を超え、力を得た。 その刀は、本来の持ち主であった柳生十兵衛の無念を晴らそうとしたのかもしれない。 あるいは・・・その刀に宿った十兵衛の魂の仕業だったのか・・・。 真相は、あの日と同じ綺麗な満月だけが知っているのかも知れない。 <終わり> |