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東京魔人學園SS 妖怪ハンターシリーズ13 作;雪乃丞

永遠の歌姫 《2》






 駅のホームに立った壬生は、一時の激情に身を任せて一般市民に己の技を使った事を後悔していた。

『・・・空しい』

 こんな時は、決まって虚無感に包まれる。
何時頃からだろうか? こんな風に己の行動に後悔を感じ始めたのは・・・。
少なくとも多くの戦友と、半身ともいえる親友と共に戦ったあの数ヶ月は、こんな事はなかった。
むしろ、毎日の戦いに有意義なものすら感じていたはずだった。
 自分はやはり・・・後悔しているのだろう。
そう考えて、壬生はその後悔を捨てた。 こういった時の気持ちの切り替えは恐ろしく早い。
それは・・・人殺しを生業とする生活の中で身につけた一種の自己防衛方法なのかも知れなかった。
壬生は最後に一つため息をつくと、その場を後にして人魚の目撃者達の家に向かって歩き出した。

 その道中、以前に聞いた仕事のターゲットの家に偶然にも辿り付いてしまっていた。
むろん、何か思っての事ではない。 単に目的地への通り道に偶然、そこを通っただけなのだ。
壬生が目指しているのは、人魚を目撃した猟師や、釣りを楽しんでいた人物の家だ。
断じてターゲットの家などではない。
それに、壬生自身、休暇中の身で仕事への余計な介入や、邪魔などする気は毛頭ないのだ。
しかし、偶然とは恐ろしいものである。
現に、こうして家の写真しか知らなかった壬生がこの場所に辿り付いたのだから。

『偶然? いや、カルマか? ・・・まあ、どっちでも良いか。 さっさと立ち去る事に変わりは無いし』

 そして、その巨大な屋敷の前を通り過ぎていく。 その屋敷は白っぽい壁に囲まれた豪邸だった。
その壁の上から覗く大きな屋敷を眺めながら、壬生はターゲットの事を思い出していた。

『それにしても・・・大きい家だな。 確か、薬品メーカの重役とか言っていたか・・・』

 そうして、背後に消えて行く豪邸を最後にもう一回振り返った壬生の脳裏に、数日前に聞いた依頼内容がよぎる。

『九流和 源蔵(くるわ げんぞう)。
某化粧品メーカの重役幹部にして、開発部の総責任者。 メーカー創設当時からの際古参の人間の一人。
その人物の指揮の元、そのメーカーはここ数年『化粧品』の各分野で不動の地位を築く。
その化粧品は、独自の精製方法が注目されている特殊なコラーゲンを原料としているらしい。
そのコラーゲンを原料とする商品群は、今も業界トップの地位を独占している。
しかし、そのコラーゲンというのは、未知の成分が多く含まれているのだそうだ。
そのせいで、過去何度も非公式の査察を受けているという曰くつきの代物・・・。
それをことごとく己の人脈を使って察知してきたお陰で、今もってコラーゲンの原料は謎につつまれたまま・・・。
確かに驚くほどの効果があるのだが、一説には『変な後遺症』が出たとかなんとか・・・』

 しかし、それくらいで拳武館が動く事はない。 その商売の裏に潜む悪事のために動くのだ。
確か依頼を受けた理由は『秘密を知った部外者の一家全員を皆殺しにしたから』だったはずだ。
しかも、それは一回や二回ではきかないらしい。 確かに自分達が動くには十分な理由と言えるだろう。
しかし・・・九流和は、なぜそこまでして原料の秘密を守ろうとするのだろうか?

 壬生には、話しを聞いた当時から『その疑問』が、ずっと喉につかえた小骨のように気になっていた。
もっとも、『処分される理由さえ分っていれば、それでいい』。
当時は、そう考えて詳しく聞かなかったのだが、今になってその事が悔やまれる。
そこまで考えると、壬生は自分が休暇中だという事実を思い出した。

『まったく・・・何をしているんだ? ボクの目的はこんな事ではないはずだろう?』

 そう自分に言い聞かせて、人魚の目撃者を目指してさらに歩くペースを上げる。
なんとか今日中には目撃者の話しを全て聞いておきたい。 そう考えているのだ。
病気の母の事が気になるから早く帰りたいし、なによりも余り長いこと休む訳にもいかないだろう。
そうして・・・壬生は、目撃者の住所をしらみ潰しに巡って行く。

 そうして、日が暮れる時間になった頃。 ようやく最後の一人の話しを聞き終えた。
分ったことは数多いが、信頼性や客観性に欠ける情報が多いため、それをにわかに信じこむ訳にもいかない。
こんな時には、目撃談より、遭遇淡の方をあたってみよう。
そう考えた壬生が向かうのは、当然にことながら海辺の周辺だった。
丁度、時刻も人魚に遭遇したという時間帯に近い。 今からなら丁度遭遇した時間帯に辿りつけるだろう。







 つい最近、人魚が目撃されたという岩場で、水平線に沈んで行く美しい夕日を眺めながら、壬生はため息をついていた。
その周囲は、聞いていると安らぎすら感じられそうな潮騒(しおさい)の音に優しく包まれている。

「たしかに・・・ここなら現われても、おかしくないかもしれない」

 誰に話しかけるでもなく、壬生はそう呟く。 しかし、その呟きも潮騒にかき消される。

 いったい、どのくらいその岩場に座っていただろうか?
壬生は何をするでもなくただ座って、赤く染まった水平線を眺め続けていた。
その海と空の境界線を赤く染めあげる美しい夕日と、優しい潮騒を奏でる海は、壬生の心を安らぎと懐かしさで満たしていく。
そんな夕日と潮騒の音は、壬生に懐かしいセピア色の風景を思い出させるのだ。

『紅葉。 あんまりはしゃいでばかりいると、転んで怪我するわよ』
『ダイショウブだよ! そんなに簡単に転ばないって!』
『ああ!? 前見なさい! 紅葉!』
『え? わあぁ!』
『大丈夫!? 怪我はない!?』
『う、うん。 ダイショウブ。 ちょっと驚いただけ。 えへへ・・・確かに怪我しちゃうね』
『もう・・・あんまり心配かけないで?』
『うん。 お母さん。 コメンね』
『いいのよ。 紅葉さえ怪我がないなら』

 そういって、夕日に染まった笑顔を浮かべた母親の顔は、いつの頃の記憶なのだろう?
今の弱り、やつれた母親の面影はそこにはない。 ただ、優しく包み込んでくれるような、そんな笑顔だった。
それを思い出す壬生の頬を、一筋の涙が流れる。 それを乱暴に袖で拭うと、壬生は苦笑混じりに一人呟いた。

「まったく・・・海ってのは・・・」

 しかし、それ以上は言葉をつむげない。
『この時間帯に海になんてくるもんじゃないな』。 そう考えても、言葉には出来ない。
その心には、もう思い出すまいと決めていた記憶が次々と蘇り、壬生の心を懐かしさと喜びと・・・悲しみで満たしていく。
それから、空が赤から青に変わるまで・・・壬生は声もなく泣き続けた。

 壬生が、その子の存在に気付いたのはいつの事だったのだろうか?
そこには、立てた膝に額を乗せてうつむいていた壬生の顔を、真近から覗きこむ一人の少女の姿があった。
壬生は自分が周囲の状況に気付かない程、取り乱していた事に少なからず羞恥を感じていた。
そして、今の泣き顔を他人に・・・しかも、女の子に見られた事が、その羞恥心を倍増させていた。
だから・・・。

「なんの用だ?」

 そんな普段なら絶対に使わない様な、突き離したような言い方をしてしまう。
しかし、そんな壬生の不機嫌そうな声にも、その少女は動こうとはしなかった。

「何も用事が無いのなら・・・放っておいてくれ」

 その声を聞いた少女は、悲しそうにうなずくと、少し離れた場所に座り込む。
そうして、いくら壬生が無視し続けていても動こうとしない。 それならばと座る場所を変えてもついてくる。
しかも、その悲しそうな目は相変わらず壬生に注がれたままだ。
ここまでされては、流石に無視し続けている訳にもいかなくなった。
涙の跡を両手で乱暴に拭い取ると、ようやく平常心を取り戻した壬生は顔を上げて問いかける。

「キミは・・・誰なんだい?」

 そんな平静を取り戻した声に、ようやくその少女も笑顔を見せた。 しかし、その答えは無い。
壬生は、自分が名乗っていないからだろうか?などと考えながらさらに言葉を続けた。

「ボクは壬生紅葉。 キミは?」

 その声に、ようやく少女は閉ざしていた口を開け・・・。

「ワダジハ、ジュジァ」

 その口から聞こえるのは、酷いダミ声だった。 そして、少女は顔をしかめてそっと咽喉を押さえた。
恐らく咽喉を痛めているのだろう。 そんな姿に壬生は己の落ち度を悟った。

「・・・悪かったね。 無理に喋らせるようなマネをして」

 その声に含まれた優しさが感じ取れたとれたのか、その少女は僅かに笑みを浮かべると首を横にふる。
そして、壬生はイエス/ノーだけで答えられるように、慎重に言葉を選びながら問いかける。

「今から聞く事には顔の動きだけで答えてくれるだけでいいよ」

 その声に、イエスと答える少女。

「キミは、この辺りに住んでいるのかい?」

 その声に、首をかしげて悩む素振りを見せた後、イエスと答える。

「じゃあ・・・そろそろ帰らないと日が暮れる。 送ってあげようか?」

 その声に、しばし躊躇を見せた後、イエス。
そして、夕暮れを通り越し、闇に包まれはじめた海辺を、少女は壬生を伴って後にした。







 ジュジアと名乗った少女は、年は12〜3才くらいだろうか。
その名前からは想像できないかも知れないが、容姿的にはほとんど日本人だ。
腰までとどく黒髪で、そこだけ日本人離れした感じのある深いホリのある顔。
今はソバカスが目立つが、きっと十年後には美人になるだろう。
もしかするとハーフなのかもしれない。 そんな事を考えながら壬生は、促されるままに後についていく。
しかし壬生もただついていくだけではない。 自分、いや、ジュジアにだろうか?
とにかく、壬生は自分達二人の周囲にいると思われる数人の尾行者の存在を感知していた。

『敵? いや、そんなはずはない。 ボクは今日この街にきたんだから。 となると・・・この子か?』

 その視線の先には、嬉しそうにニコニコ笑いながら歩くジュジア。

『この子に尾行者がついているのか?』

 しかし、その考えは自分でも納得できない。 第一、理由らしい理由がない。
そう考えると、やはり自分の方がつけられているという可能性は捨てないほうが良いのだろう。
自分は知らなくとも、相手は自分の事を知っている可能性もあるのだから・・・。

 そう結論ずけると、壬生はさりげなく周囲を伺うようにして、周りを見渡す。
その視線の先には、買物帰りだろうか? 数人の主婦と、学校帰りの学生数人。
後は会社員であろう、数人の家路を急ぐサラリーマン。 結論としては、特に妖しい人物の姿はない。
しかし、確かに壬生の五感は視線を感じている。 しかも数人。
恐らくは、決して少なくない通行人の中に潜んで、こっちを伺っているのだろう。

『この街についてから暫くは尾行は無かった。 となると・・・人魚を捜す人間を警戒しているのか?』

 あるいは・・・九流和の手先という事も有りうるだろう。
もっとも、他の拳武館の人間が警戒されているという話しは聞いていないのだからそれは考え過ぎかもしれない。
どちらにしろ、このまま放っておくのは良い手とは言えないだろう。

「ここでちょっと待っててくれるかい?」

 壬生がそう告げると、ジュジアは不思議そうにうなずくき、その場にうずくまる。
なにもその場で待っていなくとも良さそうなものだが・・・。

「すぐ戻ってくるよ」

 壬生はそう苦笑混じりに告げると、少し離れた場所に設置されている公衆電話に向かう。
もちろん電話などかけるつもりはない。 要は『どっちに対する尾行か』を分れば良いのだ。
そして、番号を押すフリをして数分間その場に留まる。
すると、感じていた視線は跡形もなく消え・・・ジュジアの周囲に数人の尾行者がいるのか分った。

 こういう時には、一人をその場に留まらせた上で別れて、その周囲の変化を観察するというのがセオリーなのだ。
なぜなら、尾行者は他の通行人と違って、『その場に留まる必要が生まれる』からだ。
尾行対象がその場に留まった方である場合、その場から動けなくなるのだ。
ちなみに、これで周囲に変化がない場合は、やはり自分が尾行されていると知れる。
そして、急にその場で動かなくなった人物が周囲に数人。 やはり相手は変装していたらしい。

『やっぱりね・・・となると、狙いはあの子か』

 もっとも、こんな初歩的な妨害で尻尾を掴ませるという事は尾行者のレベルは低いと知れた。

『それにしても下手な尾行だな。 素人に毛の生えた程度の輩か』

 拳武館の人間なら、相手が止まっても気にせず通り過ぎて別の人間がその役を引き継ぐだろう。
そして数人の人間が服を替え、髪型を変え、交互にその人物の周囲を通り過ぎながら尾行するのだ。
壬生自身、仲間に尾行されたらそう簡単に気づけはしないだろう。
それほど拳武館の尾行は気付かれにくいのだ。 それは、命をかけた戦いの中で磨き上げられた技術であった。

『背後にいるのが誰なのか・・・聞き出す必要が有るな』

 心の中でそうつぶやいた壬生は、受話器を電話に戻すと、薄闇に包まれた周囲の中をさりげない動作で移動していく。
その気配は完全に断たれており、常人なら側に立たれても気がつかないであろう。
光の当たらない場所を選ぶようにして移動すると、一番近い尾行者に背後から近づく。 そして、その首を掴んだ。
掴まれた相手は度肝を抜かれたであろう。
しかし、その手から放たれる不可視の《力》のせいか、相手は声も立てられなくなっていた。
そして、棒立ちになって青くなる男に、壬生は静かに問いかける。

「下手な尾行だね。 それに手際も悪い。 誰に頼まれたんだい?」

 語尾を強めて問いかけると同時に、壬生は手に込めた《力》を緩めた。
ようやく息が出来るようになった相手は、観念したのか素直に答えた。

「か、会社の部長から・・・あの子にそっくりの顔写真を見せられて・・・探し出せって・・・」
「部長? 名前は?」
「く、九流和・・・」
「知らない名だな・・・。 まあいい。 探し出せといった理由は?」
「そ、そこまでは知らない。 本当だ」
「そうか。 御苦労だったね。 今後のために忠告をしておくよ。 素人は慣れないことをするもんじゃない」

 そういうと、壬生は手に込めていた『氣』を一気に相手の首筋に送りこむ。 相手は、その衝撃で失神して崩れ落ちた。
その崩れ落ちた人物をその場に放っておくと、残る尾行者数人も残らず同じ目に会わせた。
壬生は当然の事ながら拳武館の名は出していない。 気絶させた相手も、壬生の嘘に気づく事はないだろう。
これなら仲間の邪魔になるような事はないはずだ。 しかし・・・。

『なぜ、九流和の手先がジュジアを探しているんだ?』

 そんな疑問は、壬生の思考をますます混乱させていた。
咽喉を痛めているらしい少女と、それを探す九流和。
九流和は自分の工場で使用する原料の秘密を必死で隠していて、その手段は徹底している。
しかし、なぜその九流和がジュジアを探さなければいけないのだろうか?
あるいは、それは『九流和の必死の隠蔽の原因』に何か関係しているのだろうか?
結局のところ、本人に聞くしかないのだろう。
そして、何も知らずその場に留まっていたジュジアの元に戻ると、開口一番に疑問をぶつけてみる。

「九流和って人を知ってるね?」

 その断定的な問いに、顔を青ざめさせたジュジアが恐る恐るうなずく。
その瞳には深い悲しみと憤りが浮かんでいる。 尋常な理由ではない事が窺い知れる目だった。

「・・・何か訳アリって感じだね?」

 その声には少なからず疲れが滲んでいた。
ジュジアが、自分に近づいたのは、単なる偶然なのだろうか?
もしかして、最初から自分を巻きこむつもりで、近づいたのではないだろうか?

「キミは・・・手助けが欲しかったのかい?」

 その強張った声に、おそるおそる首を縦にふる。
壬生は自分の考えが正しかったことに、例えようもない疲れを感じていた。

 恐らく、電車の中での一件を見ての事なのだろう。
確かに、力のない少女では、あの九流和に立ち向かうことなどできはしないだろう。
それは、高い戦闘力と優しさを併せ持つ事を窺い知れる壬生の人柄を見込んでの行動であったのかもしれない。
咄嗟に思いついた方法としては悪い手段ではない。 壬生も今でなければ手助けくらいは出来たかもしれない。

 しかし、今は休暇中で仕事への介入は禁じられている、
当然、九流和に手出しなど出来るはずもないのだ。 それは拳武館への明確な裏切り行為となるだろうからだ。
鳴瀧は、自分を特別扱いしているが、立場上、腹心の部下の裏切り行為に対して寛容な処置は下せるはずもない。
裏切れば・・・自分は確実に処分されるだろう。
そんな事を知るはずもない目の前の少女に罪はないのだろうが・・・今は見捨てる事しか出来ないのだ。
そんな事実が例えようもなく壬生を疲れさせるのだった。

「・・・最初からそれが目的だったのかい?」

 疲れきった感じのある壬生の声に、必死で否定の意志を示すジュジア。

「違ウノ! 本当ニ偶然ナノ! デモ、オ母ザンヲ助ケデ・・・ゴホッゴホッ」

 咽喉が痛むのか、ジュジアは長い言葉に顔をしかめながらむせる。
そんな姿を見ては、壬生も怒る気にもなれなかった。
母親を助けたい。 そんな自分と同じ願いを叶えてやれるであろう『力』を持っていながら・・・。
壬生は何もしてやれない自分の境遇を呪った。

「済まないが・・・九流和に手出しは出来ないんだ。 他をあたってくれないか?」

 もはや相手の目を直視することすら出来ない壬生だった。
そんな壬生の深い悲しみを滲ませる声に、ジュジアは涙を流しながらも笑顔を浮かべる。

「ワガッダ。 無理イッデゴメンネ」

 その言葉が、壬生の心を締めつける。

『ボクは・・・間違っているのか?』

 目の前の少女の母親を救えるのは、恐らく自分だけ。
社会的抹殺ならいざ知らず、暗殺の場合は関係者全員が処分されるのが常なのだ。
事情を知らない拳武館の人間が仕事をやってしまっては、おそらく母親も死ぬことになるだろう。
それを・・・目の前の少女が知るはずもない。

「後バ、自分デナンドガズルガラ、心配ジナイデ」

 涙を袖で拭いながら、背を向ける少女の後ろ姿を見ながら・・・壬生は激しい罪悪感を感じていた。

『いっその事、怒って罵ってくれればいいのに・・・。 なぜ、そんなに優しくなれる?
なぜ・・・ボクの事をそんなに気遣う? なぜ・・・怨もうとしないんだ?』

 そんな苦しみが、壬生の心から平常心を削り取っていく。

『いいのか? このまま行かせても? 待っているのはロクな未来じゃないぞ?
放っておけば・・・今日にでもさっきみたいなヤツラに捕まるぞ?
下手すれば、母親もろとも殺されるんだぞ!? しかも殺すのはボクの仲間なんだぞ!?』

 思わず、悔し涙が頬をつたう。 それでも、『ボクが助けてやる』の一言は言えない。
そんな苦しみを感じ取ったのか・・・ジュジアは、最後に振り向くことなく、壬生に告げる。

「マダ・・・アエルドイイネ」

 もう限界だった。 壬生は思わず大声を出してしまう。

「・・・なぜ・・・もっとワガママになれない!? なぜだ!? なぜなんだ!!?
そんなので本当に母親を救えるのか!? なぜ・・・もっと他人に迷惑をかけようとしない!?」

 そんな悔し涙を流す壬生に、ジュジアは年に似合わない優しさと落ちつきでもって答える。

「ダイジョウブ。 キット海ノ神様ガ守ッテクレル。 後ネ・・・モウ泣ガナイデ。
・・・海ハ・・・悲ジミダゲヲ・・・生ム場所ジャナインダガラ」

 その言葉に・・・壬生は己の犯そうとしている罪を思い知った。

『これは運命なのか?
なぜ・・・自分と同じかそれ以上の苦しみを味わおうとしている者を救えない?
それとも、これがボクの犯した罪に対する罰だとでも言うのか?』

 その時、己の体を抱くようにして、苦しむ壬生に、静かに語りかける声がする。

「お前は・・・救える弱者を見捨てても、正義を語れるのか?」

 その言葉は、壬生の心を激しく揺さぶる。

「お前は・・・そんなことをして、己の正義を信じられるのか?」

 その責めるような、あざ笑うかのような声に・・・苦しみを滲ませた声で答える。

「・・・ボクは正義なんて知らない。 単なるエゴイストだ。 全ては母さんの為だ。
ボクが死んでは・・・母さんが入院していられなくなくなる。 死ぬことになる。
ボクは・・・母さんを失いたくない!」

 そんな悲鳴のような声に、あきれ返ったような声が返ってくる。

「そして、それも運命だと諦めるか? それで、お前は納得できるのか?」
「うるさい! ボクは・・・ボクは・・・」
「オレの知る拳武館の壬生紅葉は、もっと義侠心と決断力に溢れた男のはずだなんだがな?」
「くそ! アンタに何がわかるってんだ!」
「まったく・・・しょうがない甘ったれだな。 お前は・・・。 分った。 オレが何とかしてやる」
「え?」
「拳武館、壬生紅葉。 個人的にオレがお前に依頼する。 あの子の母親救出までの間、あの子を守りぬけ」

 咄嗟に振り向いた壬生の視線の先に、タバコを咥えた黒ずくめの男がいた。

「心配するな。 これは正式に拳武館館長に依頼される。 ほら、さっさと連れ戻しにいけ。
お前ら二人に大切な話しがあるんだ」

 その言葉を聞いた壬生は、深く一礼すると道の先を歩くジュジアを追いかける。

「まったく・・・二人とも世話をかけさせる」

 その言葉とは裏腹に、顔には苦笑が浮かんでいた。 そして、携帯電話を取り出すと・・・。

「鳴瀧さんか? オレは来須という者だ。 組織のハンター、そう言えば分るな?
・・・ああ、アンタのところの壬生の手を借りたい。 ・・・そうだ、依頼だ。
・・・細かい手続きは後回しで頼む。 ・・・心配するな、人助けの仕事だ。
アンタらの正義には反さない。 第一、あのボーヤが自分の誇りを捨てて仕事を請け負うとでも思うか?」

 来須の視線の先では、感極まったのか、涙を流しながら抱き合う二人が居た。

「まったく・・・お人よしというかなんというか・・・良い後継者を得たな」

 数日前の深夜。 来須と名乗って壬生と死闘を演じた男は、壬生の前に再び現われたのだった。
今度は、奪うものではなく、窮地を救う者として・・・。







 来須は、戻ってきた壬生とジュジアの二人を近所のファミリーレストランに誘って話しを始めた。
ちなみに、時刻は夜の9:00前。 客の数は決して多いとは言えない。
もっとも、こんな状態だったからこそ、来須はここを選んだのだろうが・・・。

「お前ら拳武館が、この街の名士を狙っているのは知っている」

 いきなりそう切り出してきた来須に、壬生は思わず隣に座ってジュースを飲んでいるジュジアに視線を向ける。

「その子にも関係する話しだ」
「ジュジアに?」
「ジュジア? ジュリアの間違いじゃないのか?」
「・・・そうなのか?」

 その声に、ちょっと頬を膨らませてうなずく。 どうやら本人はジュリアと名乗ったのつもりだったらしい。
しかし、これで壬生を責めるのは間違いだ。 ジュリアの声では、きちんと聞き取ることが難しいのだ。

「まあ、名前なんぞどっちでも良い」

 そんな来須の言葉に、ノーを連発するジュリアを無視して話しは続いていく。

「話しというのは、その子の両親・・・いや、囚われている母親の事だ」
「ジュリアの母親の事?」
「ああ。 その子の言った『救って欲しい』というのは本当の話しだ。 母親に逃がしてもらったんだろう?」

 その問いかけに、悲しみを浮かべてイエス。

「まあ、時間も無い。 さっさと事を進めないとな・・・しかし、お前らは似ているよ」

 来須は、そいってジュリアの頭を撫でる。 しかし、その瞳に浮かんでいのは哀れみだった。
その事をジュリア自身分っているのか、その言葉に僅かに頬を赤く染めてうなずく。
しかし、そんな電波の入った会話では、壬生にはさっぱりわからないし、当然、面白いはずもなかった。

「時間が無い? ボクとジュリアが似ている? あなたは何を知っているというんです?」

 そんな壬生の不満そうな声に、来須は苦笑を浮かべて答える。

「まあ、色々だ。 それを聞かせるために誘ったんだ」
「・・・それで?」
「始めに言っておく。 その子の母親は人間ではない。 海の魔物の一種だ」
「・・・魔物?」
「普通ならヨタ話しも良いトコロだろうがな・・・。 しかし、お前なら信じられるはずだ」

 確かに、壬生は過去に魔物や鬼と戦った事がある。 いまさら魔物だと言われても驚きはしない。
もっとも、ジュリアが魔物だと言われても、今一つ信じられないのだが・・・。

「まあ、実在するのは知っていますが・・・」

 そんな困惑気味の壬生に構うことなく、来須は話しを続ける。

「それを念頭に置いて聞いてくれ。
オレは、その子の母親を救出する。 そして、その見返りとして情報を貰う。 そのためにここに来た」
「ボンドウ!?」
「・・・?」
「本当の話しだ。 青年、濁音を気にせず聞いてみろ。 意味がわかるはずだ」

 どうやら「本当!?」と言ったようだった。 壬生にもようやくジュリアとも会話のコツが掴めてきた。

「ついでだから全部教えておくが、今回の仕事では、オレ達には絶対に失敗は許されない。
お前らごとき、極東の島国の中で暴れる正義の味方どもに邪魔されるわけにはいかないんだよ?
こっちはやらなきゃいけない事が山積してるってのに・・・今回の一件では、お前らに邪魔されてばかりだよ。
もう再三に渡って警告しているが・・・拳武館は、本当に引く気がないのか?」

 そう来須は忌々しげに問いかける。 その相手は壬生。 いや、拳武館の人間なら誰でもよかったのかもしれない。
はっきり言ってこういった物言いは壬生の好むところではない。 しかし、この話しは初耳だった。

「ボクは今休暇中です。 今の状態は知りません。 それに館長はこの事を知っているのでしょうか?」
「オレ達は知っていて当たり前だと認識している。 それくらい前から警告をしてきているからな。
しかし・・・言われてみれば、オレ達のエージェントも鳴瀧本人には会ったことがないと言っていた。
さっき鳴瀧に電話した時も、その件については触れようとしなかったところをみると・・・。
確かに・・・なにかがおかしい。 どこかで情報が握り潰されているのかもしれんな」

 その話しを聞いて、壬生には複雑にからんだ紐の端を握る者の姿が見えてきた。

「おそらく副館長の独断先行でしょう。 膨大な人的資産の損失をネタに館長を失脚させるって絵図だと思います」
「お前らも一枚岩って訳じゃないんだな」
「しいて言えば、三枚岩ってところでしょうね」

 館長派、副館長派、日和見派(ひよりみは)。 その中で一番頂けないのが、自主性を持たない日和見派だ。
勝負がついた頃に割り込んできて、良いポジション取りに奔走する腹積もりだろう。
それを阻止するのは、自分の役目だ。 壬生はそう感じているし、鳴瀧も自分の後継者にそれを期待しているだろう。

「まあ、それは良い。 だが、最後にもう一度だけ警告しておく。
オレ達の仕事の邪魔をするな。 少なくとも拳武館の人間に数日間は一切手だしさせるな。
どの道、九流和は生かしてはおけない。 お前らの仕事はオレ達が代行してやる。
今度の警告を無視すれば、お前らは・・・オレを始めハンター数人で皆殺しにされる」

 それは聞き様によっては戦線布告ともいえる。 今度の作戦に参加している拳武館の人間は少なくとも数十人。
その中で実行班は実質5人〜10人。 しかも、いずれの人物もそれぞれの『技』を極めた強者ぞろいだ。
それを数人で皆殺しにする。 そういっているのだ。
しかし、壬生には分っている。 もしも、相手が全員来須級の腕の持ち主であれば・・・死ぬのはこっちの方だ。
少なくとも、実行犯は皆殺しにされるだろう。
本気になった来須相手に勝てるのは恐らく自分だけだ。 壬生はそう感じていた。
あるいは、過去一緒に戦った仲間達なら・・・いや、彼さえいてくれれば、勝てる。
壬生は、そんな意味の無い事を考えながら、そう感じていた。

「なんで、そこまでして?」
「今世界中のハンターや魔道師が一つになってある作戦を進行中だ」
「一体、なにを?・・・世界中って?」
「今世界は・・・滅びに向かっている。 それを阻止する。 ・・・信じられんらしいな?」
「はい。 話しが大き過ぎて・・・」
「『深き者』って魔物を知っているな?」

『深き者』。 又の名を『魚人』『ディープ・ワン』『インスマウス』。 呼び名は色々だ。
確か、自分が昔の仲間達に加わる前に、真神の面々が遭遇した魔物の中にそんな名前の魔物がいたはずだ。
海に眠る神の復活を夢見て、色々な騒ぎを起こしたと聞いている。

「一応知っています。 ・・・仲間から聞いたことがあるくらいですが」
「お前、いやお前の仲間は、やつらの極東支部の下っ端とやりあったはずだ。
今度はオレ達が『深き者』どもの、総本部を・・・叩き潰す」
「・・・ヤツラの狙いはなんなんですか?」
「極東支部の狙いは、この日本の遥か南にあるニライカナイの人魚達の殲滅だった」
「ニライカナイ?」
「そこも神の住まう地なのさ。 もっとも、今は海底に沈んでいるがな」
「つまり、魚人と人魚の勢力争いって訳ですか?」
「まあ、そんなところだろう。 だが、魚人の総本部は目的が大きく異なる」
「その目的とは?」
「自分達の神の復活さ。 その神の目覚めと共に・・・世界は海に沈む」

 たしか、そんな話しを聞いたことがある。 水岐とかいう男がそんな事を言っていたと・・・。

「魚人の目的は分りました。 しかし、あなたの狙いが分らない」
「その子の母親は、ニライカナイの人魚だ」
「それで?」
「その魚人の本拠地を知っているのは・・・ニライカナイの人魚達だけだ」
「なんで、人魚が?」
「遥か昔から戦っていた者同士だからな。 その地への辿り着き方を知っていてもおかしくはあるまい?
それを何としても聞き出さねばならん」
「他に人魚はいないんですか?」
「悠長に探しているわけにもいかないんでな。 第一、ニライカナイへの行き方すらオレ達は知らないんだ」
「先ほどから『行き方』とかいってますが・・・」
「結界だ。 不可侵領域。 見えない土地。 そこは地上でありながら、その何処でもない。
中国の崑崙山なんかが良い例だ。 この地上には、いたるところに異界への入り口が開いているんだ。
伝説の黄金卿『エルドラド』しかり、母なる西王母の住まう『崑崙山』しかり、龍王の住まう『竜宮城』しかり・・・。
すべての異界に共通しているのは、何処も『特定の方法』をとらねば辿りつけないって事だ」

 そして、偶然にもその方法をとって入り込む者もいる。
そんな人物が、命からがら逃げ出して語った内容は全てある種の伝説として語りつがれるのだ。
 地球内世界説の元になった話しもそうだ。
某国の空軍パイロットが、世界大戦中に北極上空で『巨大な穴』をみつけた。
そのパイロットの話しでは、『その穴を通ってもう一つの地上に辿りついた』というのだ。
その世界では未だに恐竜が生きていたという。 しかし、それ以降、誰もその穴を見つけた者はいない。
そんな有名な体験談も、完全な空想話しではないのだ。 彼の行ったのは異界だったのだから・・・。

「それで・・・救出を?」
「ああ。 それで、その子の手を借りたい」
「なぜそこで、ジュリアが出てくるんですか?」
「簡単な話しだ。 母親の『説得』をお願いしたいんだ」
「説得・・・ですか」
「ああ。 説得だ」

 それは、裏を勘ぐれば『脅迫』とも取れる。 相手は組織に属する職業戦闘者だ。
大きな貸しがあるとはいえ、ジュリアのためにも油断は出来ない。

「・・・分りました。 その時にはボクも一緒に行きます」
「フッ・・・信用がないな。 助けてやっただろ?」
「それについては感謝のしようもありません。 ですが、ボクはまだあなたを信用していない」
「賢明な判断だ」

 そこまでいうと、来須は急に立ち上がると、懐から銃を抜きながら、壬生に早口で告げる。
その視線は、周囲の客に向けられていた。

「話しはこれで終わりだ。 命が惜しかったらさっさとここから逃げろ」
「なんで・・・逃げろって?」
「周りの空気を感じないか? 潮の匂いは? やつらの・・・腐臭が分らんのか?」

 確かに・・・ここは海から大分離れている。 しかし、店の中には濃い潮の香りと、腐った魚の匂いがする。
その匂いの原因ははっきりしている。 店内の客の姿が次々に魚人に変わっていくのだ。
どうやら、敵のど真ん中で呑気に話しをしていたらしい。 その数は尋常ではなかった。

「確かに、逃げた方が良さそうですね」
「お前の仕事は、その時までその子を守り抜く事だ。 戦おうとするな。 ジュリアの命を守りぬけ」
「承知しています。 拳武館の名にかけて守り抜きます。 それで、連絡方法は?」
「あの屋敷から火の手が上がったら来い」
「分りました」

 その声を最後に、二人は異なる方向に向かう。
来須は店内の魚人の群れに。 壬生は、ジュリアを背負って店の外に。
それから数分後。 店から大分離れた壬生の背後で、ファミレスが爆発して炎に包まれた。

『アノオジジャン、ダイジョウブガナ?』

 そんな心配そうな、ジュリアの声に壬生は「多分ね」と短く答えた。



<続く>