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東京某所深夜。 電気もつけない部屋で行われる世にもおぞましい儀式があった。 それは一人の女の妄執から始まったのだ。 パキ、ペキ、プチ、グジュ・・・。 ひらすらに何かを貪る少女。 歳の頃は20くらいであろうか。 その痩せ衰えた四肢から年齢を判断するのは難しい。 しかし、そのお腹は他の場所に比べるとわずかに膨らんでいるのが分る。 妊娠しているのであろうか・・・。 しかし、その少女の貪る物は人が本来食べるものなどでは、断じてなかった。 虫である。 それも死んでいるとはいえ、毒を持つ物も少なくなかった。 「ふふふ・・・さあ、食べなさい。 私のかわいいボーヤ・・・。 そして・・・早く大きくなって・・・」 その少女はお腹をなでると、不意に今まで食べていた物を嘔吐する。 「く、くひ、くひひひひひ・・・。 ゴメンナサイ・・・こんなママを許して・・・」 すでに狂気に囚われた少女に人の持つ理性や倫理などはなかった。 あるのは・・・ただ失われた物に対する妄執だけだった。 業界屈指の腕利きと聞こえも高い妖物・魔物ハンター『来須 狩夜』は困っていた。 なぜか? 理由は至って簡単である。 たまたま一緒に仕事をしていた女性が・・・妊娠したかもしれないのだ。 無論、来須の子供などではない。 しかし、こうやって産婦人科の椅子に座って、その女性を待つというのは・・・かなり恥ずかしい。 周囲の妊婦や子供の興味深げな視線が痛すぎる来須であった。 忍耐の限界に挑戦していた来須に、その原因を作った女性が軽い口調で結果を知らせる。 「あ〜あ、アタシの思い違いたってさぁ〜」 「・・・なら、もう来る必要は無いな」 「残念だねぇ。 折角、親子でいっしょの仕事が出来るかと思ったのにねぇ」 「第一、なんでオレが・・・」 「この間の借りをチャラにするってんで『一回だけなんでもやる』って言ったのは誰だっかかねぇ」 「・・・オレが馬鹿だったよ。 魔女相手にそんな約束する方が悪いんだ」 こいつはオレへの罰ゲームとしてこんな嘘をついて、オレをここまで引っ張ってきたとしか思えない。 それくらいは平気でやる女だ。 「そう卑屈になることなんてないさ。 結果はどうであれ・・・面白いものを見つけたよ?」 「面白いもの?」 「ああ。 詳しい話しは車でするよ」 その話しによると、病院の中でおかしな女性に会ったというのだ。 その女性は、人の気配、容姿をしながら・・・人でない『何か』を漂わせていたというのだ。 少し気になったが、今回の依頼には関係ないし、化け物の類ではなさそうだというのでオレは忘れる事にする。 この狂った御時世だ。 少しくらい人の範疇を離れたやつがいても気にする必要などないだろう。 「本格的に『墜ちて』から・・・始末すればいいさ」 「相変わらず・・・冷めてるねぇ」 「そいつにとっても自分自身の問題さ。 大抵は墜ちる前に人の世界に帰る者ばかりだからな」 そんな話しをしているうちに、目的地の駅が見えてきた。 「名残惜しいが、これでまた暫くはお別れだねぇ」 「出来ればもう二度と会いたくないな」 「毎回そんな事を言っては、私に助力を頼むんだからねぇ」 「これが最後だろうよ」 その言葉を聞いたのかどうか・・・。 あいつは車を降りると、駅前の雑踏に消えて行った。 オレはもう、あの魔女に頼るのは止めようと心に決めた。 オレは屈辱の罰ゲームの記憶を封印すると、依頼人に会いに一人で向かう。 依頼人は裕福な家庭の一人息子。 分りやすく言うと、政治家のバカ息子だ。 そのバカ息子が・・・何かにとり憑かれたというのだ。 そんな仕事を受けるハメになったのも、前回の仕事で大怪我をして組織の手を借りて治療したからだ。 その件の見かえりとして、依頼を無条件で一つ受けることになったのだ。 ・・・まあ、出来るだけオレ向きの仕事を回すといっていたエージェントの言葉を信じようと思う。 オレは依頼人の豪邸に入ると自己紹介する。 依頼人はまだ大学生であろう。 背も高く、顔は良い。 さぞ、もてることだろう。 もっとも、今は青ざめている上に目の下にクマを作っているので、その色男ぶりも半減している。 「組織から派遣されてきたハンター・来須 狩夜だ」 「オレが岬 信吾(みさき しんご)だ。 頼むからあの薄気味悪い声をなんとかしてくれ!」 「・・・詳しい話しを聞こうか」 信吾が始めて気付いたのは、数ヶ月前だという。 始めは空耳程度だったのが、最近では常に何かに呼びかけられているような気がするという。 どうやら『何かを返せ』といっているらしいのだが、それはまだ詳しく聞き取れるような声ではないらしい。 しかし、昼夜問わず聞こえるというのは確かに尋常ではない。 その話しを聞く内にオレはこの事件が単なる亡霊の類などではないと確信する。 信吾の周囲には、わずかだが妖気に似た力が漂っていたのだ。 それは、遠く離れた場所から信吾に送りつけられる様だった。 「・・・呪いだな」 「呪い!? なんでオレが呪われなきゃならねーんだ!」 「心当たりはないか?」 「あるわけねーよ!」 これはダメだな。 こいつに話しを聞いても何も分らない。 とりあえず信吾の友人など話しを聞く事にする。 名目は素行調査。 探偵の真似事も仕事の内だ。 その結果分ったのだが・・・。 こいつは本当のダメ人間だな。 俗にいう「タラシ」ってやつだ。 今も2〜3人の女と関係を持っているらしい。 その内、一人が本命。 他の二人は貢ぐだけ貢がさせて捨てられる運命だろう。 金があるくせにこんなことをするんだからな・・・。 怨まれて当然だろう。 問題は『誰が呪っているか』だ。 ヒントは『何かを返せ』か・・・。 オレは依頼の調査と平行して呪いに関する調査も進めなくてはならない。 調査が済めばすぐにでも原因を除去しなければならないからだ。 オレは国立の大学に向かう。 目的の人物は講義中だった。 「・・・であるからして、本来は呪いというものは攻撃だけでなく、防御にも使うわけです。 これを対抗呪術といいます。 毒を制するものも毒というわけです。 薬と同じですね」 この大学の民俗学の教授は、別名『オカルト博士』とまで呼ばれるくらいオカルトに狂っている老人だ。 しかし、その知識はオレ達のような仕事には欠かせないものだ。 このトチ狂った老人が教授と呼ばれるのも、組織のアドバイザーとしての援助と収入があるからだ。 受講する生徒の恐ろしく少ない講義を終えた老人を、帰り道に捕まえて居酒屋に誘う。 本来は静かなBARなどがベストなのだが、この老人は居酒屋以外には誘っても来ないのだ。 「実は・・・依頼というのが、呪いに関するものだったんです」 「ほう面白いね。 聞かせてもらえるかい?」 「はい。 今回の依頼は『依頼人への呪いの除去』です」 「それで?」 「一般人の行える範囲で、実現のやさしい呪いを仕掛ける方法を教えていただきたい」 早くも日本酒を数杯空けて御機嫌になっていた教授は、オレの質問に雄弁に答える。 「巫蠱(ふこ)というのを御存知かな?」 「フコ?」 「巫蠱とは呪いの一種でな。 生き物の霊を使って対象の人物を呪うというものだ。 聞いた事はないかな? 蛇や蝦蟇(ガマ)、蜘蛛などを使って行われるんだ。 狗神(いぬがみ)や狐憑きのキツネなんかも、同類といえるかもしれないね」 オレは黙って酒を注ぎ足す。 教授はそれを美味そうに飲むとさらに続ける。 「巫蠱を作る方法でよく知られているのは2種類ある。 一つは狗神の製造法。 犬を首まで土に埋めて放置して飢えさせる。 その飢えの極限の際に首を切り、その魂を狗神として使役する。 もう一つはよく知られてる蠱毒(こどく)だ。 容器の中に同類の毒を持った蠱(ムシ)などを閉じ込めて共食いさせる。 その生き残りの一匹を蠱毒して使用する。 これは平安時代からある呪詛の定型的な方法だよ。 まあ、簡単なのはその二つだね。 『本物』で一般人が出来るやつなんてこの二つくらいだろうしね」 狗神と蠱毒か。 ・・・蠱毒だろうな。 おそらく。 理由は簡単だ。 犬は吠える。 怪しまれずにやるには声を立てない生き物を使うだろうからだ。 「蠱毒なら出来そうですね」 「そうだね。 そういえば・・・知っているかね? 中国道教では巫蠱を呑みこんで体内で飼うらしいよ」 「そんな馬鹿な・・・だいいち死んでしまうでしょう?」 「はっはっはっ、普通の虫ではないんだよ? 要は何らかの方法で虫に餌を与えればいいのさ。 餌となる虫なども生きてる必要はない。 そして・・・」 「体内の虫も・・・生きている必要は無い」 「そのとおり。 その呪いの元になる魂っさえ逃がさなければいいのさ。 そして定期的に餌をやって大事にしてやれば・・・その蠱はいずれ巨大な呪いとなって敵に襲いかかる。 それをかわすのは至難の技だよ」 「・・・厄介ですね」 「ああ。 しかも法律には引っかからない。 少なくともこの国ではな・・・誰も信じてはおらん」 話しはそれで終わりらしい。 オレは万札を数枚握らせると席を立った。 翌日。 オレは依頼人に再び話しを聞く為に、その依頼人の大学へむかう。 だが、大学の付近に来たときに『妖気』に似た物を感じた。 オレが大学の講内に入ると、建物の中から悲鳴が聞こえているのに気付いた。 何だ? ふと振り向くと今通ってきた門が分厚い妖気の壁で封じられているのに気付いた。 ・・・結界か。 閉じ込められたかもしれん。 何が起きているんだ? その騒動は大学の外には聞こえなかったのだ。 何かとんでもない事が起きている。 オレは直感で理解した。 携帯電話を取り出すと、依頼人へ連絡を取る。 「来須だ、信吾さんか?」 『来須さんか!? た、助けてくれ!』 「何があったんだ?」 『わかんねーんだ! でも大学のあちこちにおかしな生き物が・・・うわぁ!!』 「場所を言え!」 『今、屋上に向かってる! 助けてくれるんだな!』 「ああ、だからそれまで生きていろ」 『わ、わかった。 は、早く来てくれ!』 オレは携帯電話をしまうと、玄関を通って建物に入る。 そこで、オレは信吾の言っていた生き物を見た。 それはいびつなフォルムを持った巨大なカマキリだった。 もっとも、シルエットのみで色なんてついてない。 立体的な影だと思えばいいだろう。 よくみると他にも蜘蛛やサソリまでいる。 これが全部巫蠱だというのなら術者は相当な化け物だな。 そのカマキリもどきはオレにカサカサ音を立てながら近づいて、その鎌を振り上げる。 「呪いの産物風情が、オレに敵うと思うか!」 オレは銃も使わず、殴り倒す。 当然、白魔術の助力あってこその芸当だ。 オレの一撃を受けたカマキリもどきは薄れて消えて行く。 やはりザコだったようだ。 しかし・・・いかんせん。 数が多い。 視界一杯に見えるザコの海をどうやって切り抜けるか・・・それが問題だった。 来須が玄関付近で足止めを食らっている頃。 屋上に逃げてきた信吾は一人の少女と出会っていた。 「・・・やっと来てくれたのね」 「お、お前は・・・明美なのか?」 その明美と呼ばれた少女は、斑模様に薄汚れたワンピースを着て屋上に続く階段の上に立っていた。 その四肢は異様に痩せて、その分膨らんだお腹が際立って見える。 「な、なんなんだよ! どけよ! オレは屋上に逃げたいんだよ!」 「・・・あなたに会いたかった・・・今までずっと・・・」 「その話しはもう済んだだろ? ガキおろす金だって十分払っただろう!? なんでおろさねーんだよ!」 「・・・私、あなたの子供が欲しかったの」 「クソ! まだいってんのか!? 前にも言っただろ! オレには婚約者がいるんだよ!」 その声は聞こえているのだろうか? 明美は虚空を見つめたまま独白する。 「・・・ふ・・・ふふふ・・・そうよね。 あなたが私の子供を殺したのよ・・・・」 「な!? 何いってんだ! あれは事故だろうが! それに、その腹ならガキは生きてるんだろうが!」 「あなたが・・・いいえ・・・私がこの子を殺したの・・・そうよ、私が悪いの・・・。 く、くひっひひ、ひひひひひ。 あなたが・・欲しかったのよ・・・ひっひっひいいひ」 会話になっていなかった。 もはや明美は正気ではなくなっている。 そういって明美はゆっくりとワンピースをめくりあげる。 「見て・・・これが・・・私達の子供を食べて育った『私の子供達』よ・・・」 明美は下に何も着てはいなかった。 しかし、その体は胸から下が異様な状態になっていてとても人間の体には見えなかった。 お腹は半透明に透き通ったようになっていて、内部に蠢く無数の虫、虫、虫。 それらが体を内部から食い散らかしていのだ。 すでに腹腔には何もない。 「バ、バ、ババ、バケモンだああぁあぁあ!! く、くるなぁぁあああ!!」 「さあ、お前達・・・あれがパパよ」 明美の体を食い散らかしていた虫達が次々と床に落ちて行く。 それは、見る間に小川の流れの様になり、しまいには怒涛の黒い波になって信吾に襲いかかる。 信吾が恐怖のために動けなくなっていると、轟音と共に信吾の周囲に無数の穴がうたがれた。 「聖者の衣をもって、かの者を魔より守る壁となれ!」 その声とともに無数の穴を囲む防御結界が形成され、その結界に触れた虫は次々と消滅していく。 その防御結界を張ったのは、ここまで辿りついた来須だった。 「話しは下まで聞こえた。 明美とやら・・・墜ちたな」 「信吾は・・・わたサナイ・・・誰ニモ渡サナい・・・ひっひひっひひひ」 明美の体からこぼれおちる虫は終わることを知らないように溢れてくる。 『これが・・・巫蠱だと? そんなバカな・・・こんなのが素人に使えるのか?』 こぼれおちた虫は次々と巨大化して来須に襲いかかってきた。 いったいどうすればここまで強大な蠱毒を育てることができるのか・・・。 「魔を浄化する聖なる炎よ! 燃え盛る壁となれ!」 数少ない攻撃用の術を繰り出しながら、来須は弾を装填しなおす。 その合間にも炎の壁の中でのた打ち回る虫の体を踏み台にして、虫たちが飛び越えてくる。 それらをからくもかわしながら、来須は射線上に明美を捕らえた。 「聖者と聖霊の御名を持って魔を滅ぼしたまえ、アーメン!」 次々と撃ちこまれる祝福された聖なる銀の弾に耐えきれずに、明美の体が血と肉と灰を同時に飛び散らせる。 墜ちた人間には、化け物用にカスタマイズされた来須の銃も、一応は通用しているようだ。 しかし、完全に魔物化してないだけに、それだけでは仕留め切れないのだ。 『巫蠱だ! 巫蠱は何処にいる!』 あせりの中で、来須は感覚をセンサーのように張り巡らせる。 周囲で荒れ狂う妖気の元、その根源を辿って行く。 その間にも、周囲のザコは次々と増えて行く。 それらの攻撃を時にかわし、時に殴り倒し、蹴り倒す。 しかし、数は増える一方であった。 そして・・・ついに来須の感覚が巫蠱を捕らえた。 明美の下腹の内部。 子宮にそいつはいた。 巫蠱は明美の子供が昔いた場所に、入れ替わるようにして収まっていたのだ。 「聖者と聖霊の御名を持って魔を滅ぼしたまえ、アーメン!」 狙い澄まされた弾丸は、巫蠱を打ち抜いて灰にした。 今度こそ耐えきれずに明美は灰になって砕け散っていった。 それと同時に周囲に溢れかえっていた巨大虫もどきも消えていく。 「・・・怖いな、女の情念ってのは」 「た、助かった・・・」 信吾はその場にへたり込んで失禁していた。 事件から数週間後。 結局、事件が解決したとみるや、信吾は不手際を理由に来須を一方的に解雇した。 依頼料の半額は組織から返済され、信吾の懐に収まった。 もちろん、父親には内緒の行為である。 彼は守銭奴なのだ。 使える金は多ければいいほど良いと考えている。 本人は全てが上手くいったと上機嫌であった。 「あ? ああ、大変だったんだよ。 ・・・そうそう、明美がさ〜・・・そうそう、ラリって講内で殺しまくってたらしいんだ。 そこでオレがそいつを・・・え? もう聞いた? いや〜まいるぜ〜」 来須が表舞台に出る訳にはいかない。 であるから・・・結局は今回の被害者は全員、現場から逃走した明美に殺された事になった。 とにかくそうなったのだ。 そうでないと、誰が都心の大学講内で巨大昆虫の群れが暴れまわったなんて話しを信じるというのか。 事件の真相はいつでも闇の中である。 「そうそう。 明美も困ったやつだよ。 オレのガキが出来たとか言いふらしてよ・・・。 バーカ、あんな女相手にするわけねーだろ? デマだよ、デマ」 結果、講内の内部で唯一の生き残りとなった信吾が、あることないこと喋った。 おかげで彼はヒーローになっていた。 事件の功労者といったところだろう。 彼にとって今回の事件は将来に対する大きな布石となっていた。 しかし、彼は知らなかったのだ。 巫蠱とは本来、肉体を持たない魂の呼称、呪いという不可視の力の名称なのだ。 その呪いは・・・達成されるか、完全に浄化されるまでは・・・消えたりしないのだ。 カサカサ その音に気付いたのは誰だったのであろうか。 カサカサカサカサ その音に気付いたのは何時だったのであろうか。 カサカサカサカサカサカサカサカサ そして、一人の青年が大量の血痕と、無数の服の切れ端を残して姿を消した。 その青年の部屋は内部からすべてのカギがかけられており・・・誰にも何が起きたのか分らなかった。 そう、一人不味い酒を喉に流し込んでいるであろう男を除いては。 「バカが・・・」 その男の呟きを耳にする者はいなかった。 <終わり> |