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東京魔人學園SS オリジナル短編.
request by いおりん様 / write by 雪乃丞.
微笑みをアナタに
食事をとる時間というものは、どんな仕事や生活をしていても有るものです。
なにせ、人は食事をとならければ生きてはいけなのですからね。
そして、それは人から化け物扱いされる陰陽師という仕事をしている私にとっても同じ事なのです。
「晴明様、お代わりは?」
「いや、もう十分ですよ。それより、お茶を貰えますか?」
「御意」
芙蓉の問いにそう答えると、私は茶碗に残った僅かなご飯を口に運び、箸を置きました。
「芙蓉。メシ、お代わりくれねえか?」
そんな私をよそに、テーブルの向かいに座る村雨は芙蓉に茶碗を差し出したのです。
朝帰りして、ご飯を三杯も食べられるとは、なかなかに見上げたものです。
厚顔無恥とは、正にこのような男の事を言うのでしょうね。
「村雨」
「あん?」
「お前には、目がついてないのですか?」
「どういう意味だ?」
「芙蓉は、今、お茶の準備をしているのです。それくらいお前の節穴同然の目でも見えるでしょう?」
「そういや、そうだな」
「分かったなら、それくらい自分でやりなさい」
「オメエだって、ついでもらってたじゃねーか?」
「それとこれとは別です。手が空いていない事が分かっているのに………」
「どうぞ」
そんな私の言葉を遮るように、芙蓉は私の前に湯飲みを置くと村雨が手にもったままだった茶碗を掴みました。
おそらくは、ご飯をよそってやるつもりなのでしょうが………その表情は何か言いたげなものだったのです。
村雨の朝帰りを快く思っていないのは、私と同様なのでしょう。
「村雨」
「ん?」
「居候は三杯目は申し訳なく出すそうだが?」
「そう硬ェこと言うなって」
「………」
それ以上は何も言わずに、芙蓉は村雨の茶碗を手に去っていきました。
そんな芙蓉の様子に、流石のこの男も何が感じるものがあったのでしょう。
「………なあ、御門」
「なんです?」
「芙蓉のヤツ………なんかあったのか?」
「何かあったとは?」
「いや、笑ってたもんでよ」
芙蓉が………笑った?
「………どういう表情でした?」
「だから、笑ってたんだよ。なんか嬉しそうな感じだったからよ………それでな」
「そんな馬鹿な。芙蓉には、喜怒哀楽の感情は………」
「ねーのか?」
「いや、無いことはないでしょうが………」
私には、その言葉が何か信じられなかったのです。
私は、芙蓉の浮かべる笑みというものが想像できなかったのですから。
芙蓉は式です。それも普通の式などではありません。
我ら陰陽師の神にして、平安の大陰陽師。鬼神・安倍晴明が残した十二神将の一つ、後一天后水神。
その化身こそが、芙蓉なのです。
そんな芙蓉が人間のように笑みを浮かべるなど………私には想像も出来ません。
そんな私の沈黙をどう受け止めたのか。
「まあ、先生と出会ってからアイツも色々変わったしな」
「そうなのですか?」
「あん?しらねえのかよ?アイツ最近、藤咲とか高見沢と遊びに行ってんだぜ?」
「………そうなのですか?」
「ホントに知らなかったのかよ?」
「私は………芙蓉から、そんな話は聞いてません」
確かに、あの日………。
黄龍の星をもつ緋勇龍麻と会ってからというもの、芙蓉は何処か人にも似た感情を抱くようになりました。
しかし、その変化が、ここまで進んでいたとは………。
「ふーん」
「なんです?」
「いや、アイツもいよいよ人間らしくなってきたなーって思ってよ」
「………」
「まあ良いんじゃねえか?ちったあ表情豊かになった方が、美人顔が映えるってなもんだ」
そんな脳天気な声に、私は頭痛すらも感じていました。
この男には、物事の良い面しか見えないのか………それとも、あえてその事実から目を逸らしているのか。
私には、その変化が良い事とは、どうしても思えないのですが。
「………村雨」
「ん?」
「一つだけ言っておきます」
「なんだ?」
「芙蓉は人間ではありません」
「知ってるぜ」
「芙蓉は老いるという事もありません」
「そうだな」
「芙蓉に変化は………感情は不要なのです。だからこそ………」
「シャレか?」
「死にたいのですか?」
「じょ、冗談だって。そんなに怒る事ねえだろ?」
「私は至って真面目に話しを………」
「まあ、待てって。メシ食ってる時にするような話しじゃねーだろ?その件はまた後でな」
そう村雨が一方的に会話を終わらせるのと同時に、芙蓉が戻ってくるのが見えました。
そして、朝帰りした件について文句を言う芙蓉と、その件について色々と言い訳をしている村雨を横目に、私は溜め息をついていたのです。
きっと、過去の思い出が、私にそうさせたのだと思います。
『私は式です。人間のような感情というものは殆ど存在しません』
私の脳裏に、遠い昔に告げられた言葉がよぎりました。
その言葉がかけられたのは、私が今よりもまだ幼い頃………芙蓉が、まだ今の芙蓉でなかった頃の事だったのです。
今の私は御門家の当主として、東の陰陽師を束ねる立場にいます。ですが、私とて最初からその地位にいた訳ではありません。
私にも人並みの子供時代というものがあったのです。もっとも、その時間は人と比べると、随分と短いものだったのかも知れませんがね。
私は、高校に入る頃には、すでに陰陽師としての道を歩んでいた訳ですから。
ですから、私にとっての子供時代とは、あるいは陰陽師を束ねる者となるべく修行を受ける事になるまでの事を………。
未だ自分の秘めた力を知らなかった………一般人のままでいた、あの頃の事を差す言葉なのかも知れませんね。
当時の御門家の当主は、私の父親でした。芙蓉は、当時、私の父へと仕えていたのです。
当時の私は、未だその道について詳しくなく………比較的一般人と同じように生活していました。
そんな私の側には母がおり………私は、未だ自分が歩む事になる世界の理(ことわり)を何一つ知りませんでした。
これは、そんな時代の終わりとなった日の話しなのです。
「晴明様、お父上様がお呼びです。ご用意を願います」
あれはまだ私が幼い頃の事だと思います。ですが、その日の事は、おそらく生涯忘れる事はないでしょう。
特別な用事があると、あらかじめ父から聞いていた私は、幼いながらも今日は何か特別な日になるのだと理解していたのかも知れません。
朝日に照らされ、時々鳥のさえずりが聞こえる長い廊下を、私は押し黙ったまま歩いていきました。
「晴明様をお連れしました」
「ご苦労。下がっていてくれ。………晴明、入ると良い」
庭に面したその部屋は、柔らかな明かりに包まれていました。
その部屋には、父と、そしてその背後に控える一二人の見慣れない男女の姿がありました。
そんな部屋で、私は初めて私の父ではなく、陰陽師としての父の姿を見る事になったのです。
「晴明。今日より、お前の面倒を見ることになる芙蓉だ」
その言葉とともに、父の背後の一二人の男女の中から、一際目立つ格好をした女性が進み出て私の側へと座りました。
その時、強い花の香りがしたのを今でも覚えています。
「天后芙蓉と申します。芙蓉とお呼び下さい。晴明様」
私は、幼いながらも、なぜ自分が芙蓉に面倒を見られなければならないのかが、不思議でなりませんでした。
なぜなら、当時の私の世話は主に母と家の使用人の人達によって行われ、特に不都合のようなものもなかったからです。
「晴明。芙蓉の事を頼ると良い。芙蓉は頼る事のできるだけの者だ」
そう告げた父へ、私は恐る恐る尋ねた事を覚えています。
「父様、この人………」
私には素質があったのかも知れません。幼いながらも芙蓉の尋常ではない気配のようなものを感じ取っていたのです。
「言ったはずだ。晴明、芙蓉を信じろ。芙蓉は決してお前を傷つけない。芙蓉は、お前をあらゆるものから守るだろう。
そして、お前は芙蓉を通して、もう一つの世界を………この父の棲む世界の真の姿を垣間見るのだ」
その言葉に含まれていた真意を、幼い私は知るよしもありませんでした。
「晴明様。私めを側に置いて頂きたく願います」
そう頭を下げた芙蓉に、私は頷くしかありませんでした。
それが、私と芙蓉の初めての出会いとなったのです。
後になって知った事ですが、芙蓉は私の側に仕える事を自ら願ったのだそうです。
ですが、芙蓉は私の事を知っていたわけではありません。芙蓉は、私の名だけを知っていたに過ぎなかったのです。
芙蓉が、どのような気持ちからその事を願ったのか………それが、後に私をどれだけ傷つける事になるのか………。
当時の私には、それを知る術はなく………そして、父の願い通りに、私は芙蓉を信じ、そして頼るようになっていったのです。
私の名は、御門晴明(はるあき)と言います。その名は、我ら陰陽師の神・安倍晴明と同じものです。
そして、父の名は保名(やすな)。母は葛乃葉(くずのは)といいます。だからかも知れませんね。
幼い頃には、時として狐の生んだ子なのではないかと、ずいぶんと陰口を叩かれたものです。
なぜなら、伝説の陰陽師・安倍晴明の両親も同じ名だったからであり、安倍晴明は葛の葉という狐の化生の女が生んだ子だと言われているからです。
それが作為的なものなのか、それとも偶然なのか………両親がそんな名だったからこそ、この名をつけられたのか………私には、分かりません。
ですが、そんな名をつけられた私には、周囲は必要以上に期待をかけていたのです。
そして、芙蓉も、そんな私だからこそ、側に居たいと願ったのかも知れません。
当時の芙蓉は私の父・保名へと仕えていました。
芙蓉ら十二神将は、代々御門家の当主へと………東の陰陽師を束ねる東の頭領へと仕える事を習わしとしているのです。
いわば、芙蓉ら十二神将を従える事こそ、東の頭領としての証であり、そして義務でもあったのでしょう。
ですが、芙蓉を始めとする十二神将は皆、普通の存在ではありえません。
芙蓉ら十二神将は、不滅の存在であり、そして1000年を越えて生きる存在。我々の神である鬼神・安倍晴明の残した至宝なのです。
その存在は、決して一般に知られる事はなく………そして、我々陰陽師と同じく歴史の表に出る事はないのです。
ですが、当時の私は、それをまだ知りませんでした。
私の父は、芙蓉に特別な役目を与えました。それは、未だ幼かった私の世話でした。
病気がちでなかなか床から離れる事のできなかった母に代わって、芙蓉に私の面倒を見させる事にしたのです。
無論、我が御門家には多くの使用人がいます。そして、その者達は心の底から御門家を大事に思っており、皆信用に値するだけの者達ばかりです。
当時の私の世話も、そんな信用出来る使用人の人達の手助けもあった事で、特に問題もありませんでした。
まあ、確かに、若干母と過ごす時間が長かったような気がしないでもないですがね。ですが、それは悪い事ではないはずです。
病の床につく母親と話しをするくらいは、子供としては当然の事でしょう?そして、それは父も認めていたはずだったのです。
ですが、父は芙蓉だけに、私の面倒をみさせる事を選びました。それにより、必然的に母と過ごす時間は短いものになっていきました。
別に使用人に任せる事を嫌った訳ではないのでしょうが………むしろ、使用人に任せた方が、幼い私にとっては良い事になると分かっていたはずなのです。
ですが、父は芙蓉だけに、それをやらせる事にしたのです。そこにどんな意図があったのか………今の私には、最早知る由もありません。
もっとも、想像くらいは出来ますがね。
おそらく父は、母に依存しているかのような当時の私の姿に、危機感のようなものを感じていたのでしょう。
あるいは、自分の体のこともあって、私を甘やかしすぎる傾向のあった母に私の教育を全面的に任せる事にも危機感を感じていたのかも知れません。
そして、私が母以外のものに依存し、そして自らの意志で御門家の当主となるように仕向けたかったのだと思うのです。
私の父は、ある意味、冷酷で狡知に長けた男だったのかも知れませんね。無論、それだけではなかったのでしょうが………。
芙蓉がどれだけ普通の生き物でないか………どれだけの力を秘めた存在であるのか………そして、どのような存在であるのか。
いつまでたっても変化のない芙蓉の姿を見ても、私はそれを異常とも思わなかったのです。なぜなら、私は、幼い頃からそれを見ていたのですから。
むしろ、それが当然の事だと受け止め、芙蓉とは、そういった存在であり、それが当然だと思うようになっていたのです。
そして、芙蓉が最初から普通でない事を知っていた私は、それによって十二神将というものを理解していったのかも知れません。
父は、時間をかけて芙蓉ら十二神将の在り方というものを私に見せたかったのでしょう。
不滅の存在としての十二神将というモノを知る者は数多くいるでしょう。
ですが、私ほどその存在の在り方というものを自然に理解しえたものは居ないと思います。
人は目でみないと………体験しないと物事を完全には理解しえない生き物なのですから。
分かりにくければ自転車の運転を考えて見れば良いと思います。
人は自転車の運転の仕方を人から聞く事で想像はできます。ですが、聞いただけでは自転車を乗れるようには、決してならないのです。
時間をかけ、体にその聞いた技術を覚え込ませる事で、初めて人は自転車に乗れるようになるのです。
それは、我々のような人の世界の向こう側にある存在と向き合わなければならない陰陽師にとっても同じ事です。
見聞きした事だけでは、その事象を………不滅の存在が有るという事を理解し、そしてその事が当然であるとは決して思えないのです。
私達陰陽師は、目には決して見ることの出来ない類の存在と力を使いこなし、そして相手にしなければならない者です。
そのためには、そのような力や存在が有るという事を、心の底から信じて、それが当然の事だと思えなければなければならないのですから。
そういった意味では、芙蓉が側にいて、私にその存在の在り方というものを見せるのは、ある意味最高の教育となったのでしょう。
ですが、私の父は、それだけを目的としていたのかどうか………正直、疑わしいですがね。
私は、そうやって芙蓉を理解していきました。それはまさに父の思惑通りであったのでしょう。
ですが、父は私から見ても子煩悩な父親などでは、決してありません。そこには、何か良くない思惑もあったと思えるのです。
あるいは………私が母の代用品であるかのように、芙蓉に依存する事をも見越していたのかも知れません。
幼い頃より側にいて、どんな時でも自分の事だけを大事にしてくれるような存在に………私は完全に心を許してしまったのです。
そして、芙蓉は決して私を裏切るという事がありませんでした。そんな芙蓉を、私は誰よりも大事に感じていたのです。
一般的に言えば、それは恋心や愛などと言うのかも知れません。ですが、その想いは愛などではなかったと思います。
強いて言えば執着でしょうか?私は、いつしか芙蓉が自分のためだけにある存在であると感じるようになっていたのです。
そして、芙蓉もまた私の事をそう思ってくれていると信じていたのです。
「私は十二神将です。十二神将は、東の陰陽師を束ねる立場にある御方にのみ仕える存在なのです」
芙蓉と私が一緒に居るというのは当然の事だと思っていました。ですが、それは当然の事などではなかったのです。
芙蓉を始めとする十二神将は、御門家に仕えている訳ではないのです。
御門家の当主が、東の陰陽師を束ねる立場に居たからこそ、御門家に………私の父・保名に仕えていたのです。
そして、私の父の命令があったからこそ、芙蓉は私の事を大事してくれ、そして側にいてくれていたのです。
それを芙蓉本人の口から聞いた私の気持ちがどんなものであったのか………想像するのは容易い事でしょう。
「………え?」
「ですから、生涯側に居る事は、あるいは出来ないのかも知れません」
「そんな………嫌だよ。芙蓉は僕と一緒に居てくれるんじゃなかったの!?ずっと、ずっと一緒にいてよ!!」
「ご安心下さい。芙蓉は側に居ます」
そう芙蓉にしがみついて泣いて縋る私を、芙蓉は優しく諭しました。
芙蓉は私のやることを叱る事は滅多にありませんでした。
無論、甘やかすだけではありません。行儀の悪い事や、やってはいけない事をしたときには、厳しく叱ります。
そんな芙蓉に、私はいつしか完全に依存してしまっていたのでしょう。
「私は、保名様から、常に晴明様の側へ居る事を命じられました」
「………じゃあ、僕と一緒に居てくれるの?」
「はい。保名様から晴明様の側へ居る事を禁じられない限りは、常に一緒に居させて貰います」
「じゃあ、父様が僕と一緒に居ちゃ駄目って言ったら?」
「私は保名様の命令に逆らうことは出来ません。そうなれば私は晴明様の側に近寄る事すら出来なくなります」
「嫌だよ!芙蓉、一緒に居てよ!」
「大丈夫です。保名様はそのような事を、私めには決して命じません」
「………ずっと一緒に居てよ。僕を、捨てないで。お願いだから、何処にも行かないで」
我ながら恥ずかしい台詞です。ですが、あの時の私は芙蓉が居なくなると思うと心が引き裂かれそうになるほどに悲しかったのです。
必死でしたね。どんな方法でも良いから、芙蓉を手放したくないと思っていましたよ。
あるいは、芙蓉が自分の父を殺せと言えば、それに平気で従えるほどに私は芙蓉という存在に狂っていたのかも知れません。
当時の私にとって、芙蓉とはそれほどまでに大きな存在だったのです。
「この芙蓉とて、晴明様の事を大事に思っております。私の望みは、晴明様に仕え、生涯側に居る事なのですから」
「………どうしたら、一緒にいられるの?どうすれば、芙蓉は僕の側に居てくれるの?」
「晴明様。御門家の当主となって下さいませ」
「え?」
「今の我が主は保名様です。保名様の後を継ぎ、御門家の当主となって下さいませ」
「そうすれば、芙蓉は僕の側に居てくれるの?」
私の涙を指で拭いながら、芙蓉は私に告げたのです。自分を手に入れたいという私に………その唯一にして無二の方法を。
「晴明様」
「………なに?」
「私は、晴明様は、誰よりも偉大な陰陽師となれると信じます。ですから、晴明様もそう信じて下さいませ」
「………うん。信じる」
「そして、保名様と同じく、東の陰陽師の頂点に立って下さいませ。そうなれば、私は晴明様のものです」
それは、まさにメフィストフェレスの囁きでした。ですが、当時の私にその願いは福音そのものだったのです。
その芙蓉に願いに、当時の私は躊躇する事なく答えました。
「わかった。誰よりも強い陰陽師になるよ」
「約束して下さいますか?いつしか、この私めの主となって下さると」
「約束する。僕は、きっと父様みたいな偉い陰陽師になる」
「ありがとうございます。晴明様。私めも、晴明様の事を主とする日を楽しみにしております」
そして、翌日から、私の陰陽師となる修行は始まったのです。
この約束をした日の翌日から修行が始まるなどと………いくらなんでも出来過ぎでしょう。
ですが、当時の私の頭にあったのは、芙蓉への想いだけだったのです。
あるいは、当時の私の方が人としては純粋だったのかも知れませんね。
私は、どんな修行でもやりました。昨日までの自分よりも、少しでも強くなれると言われれば、どんな荒行にも耐えました。
それが、私の願いだったからです。吐血する事も、血反吐を吐く事も、苦にも思いませんでした。
そんな血を吐くような修行の日々に、私は決して根を上げる事はなかったのです。
そして、そんな私を父は誉め、そしていつも言っていたのです。
「良くやった。お前なら、出来ると信じていた。お前なら、私の後を継げるだけの陰陽師になれるだろう。
頑張れよ、晴明。お前は東の陰陽師の頂点に立って、皆を引っ張っていかなくてならないのだからな」
嬉しかったですね。父が認めるだけの陰陽師になれれば、きっと芙蓉は私のものになると信じていたのですから。
………馬鹿な話しです。芙蓉がどのような生き物なのか、私は誰よりも良く知っていたはずなのに。
芙蓉は、主である人間に命じられれば、どんな事でもやる存在………式です。そこには、自由意志など介入する事はありません。
どんなに嫌がりながらでも、その命令を拒否したり、命令に背く事は、絶対にないのです。
もしも父が私を殺すように命じれば、芙蓉は嫌がりながらでも私を殺すでしょう。芙蓉とは………式とは、そういう存在なのです。
私がそれを思い知らされたのは、中学に入ったばかりの頃の事でした。
「………貴方は、何を考えているの?」
「仕方有るまい。ああでもしなければ………」
「そんな言葉は聞きたくありません!貴方は、あの子の親として、そんな事をして平気なのですか!」
「仕方ないのだ!ああでもしなければ、間に合わないのだ!晴明を後継者とするには………」
それは夜の事でした。
たまたま夜中に目が覚めた私は、芙蓉に部屋に居るように命じて一人で屋敷の中を歩いていたのです。
別に目的もなしにそんな事をしていた訳ではありません。
単にトイレに行った帰りに、いつもと違う道を辿って部屋へと帰ろうとしていただけなのです。
よく、好奇心は猫をも殺すとは言うものの………まさか、自分がそんな目に会うとは。
その両親の口論の声に興味を引かれた私は、我知らず穏行の呪を使って忍び寄って行ったのです。
「秋月の星見が予見した私の引退の日まで、残りわずかしかないのだ」
「だからといって………」
「晴明には悪いと思っている。だが、自身の意志で道を極めようとしない限り、決して一流と呼ばれる存在にはなれないのだ。
齢18にして大人達の頂点に立たせるには、こうするしかなかった。荒削りでも良いから、力だけは誰にも負けないようにするしかなかったのだ。
御門家は常に東の陰陽師を従え、その頂点に立ってきた。そして、そうすることでしか、内部の争いを抑える事など出来はしない。
私がもうすぐ引退して、家を後にしなければならない事が分かっている以上、そうするしかないのだ」
「この家を………出て行かれるのですか?」
「大怪我をして役立たずに成り下がった私のような者が居ては、晴明も何かとやりにくかろう。
全てをあいつに託すしかないのが心苦しい所ではあるがな。これまで私は、あいつの心を薄汚い策略で縛りつけてきた。
その分、今後はあいつに自由に………私や周囲の目など気にせず、自由にやらせてやるのが、私に出来る唯一の罪滅ぼしだと思うのだ」
「………ご一緒してもよろしいですか?」
「ああ。これまでお前にはほとんど構ってやれなかった。悪かったと思ってる。その罪滅ぼしもさせてもらうつもりだ。
夫婦水入らずの隠居生活というのも悪くないだろう。だが、その前にやっておかなければならない事がある」
「晴明の事ですね」
「ああ。私は、あと何年かしか今の地位に居られない。その間に、油断ならない奸臣どもを、出来る限り一掃するつもりだ。
そして、あいつの強力なライバルになる者達にも根回しを進めておく。晴明を次代の頭領とするのに協力してくれとな。
だが、それもこれも、あいつが一人前の陰陽師になっているのが最低限の条件だ。そうでなくては、人を率いる者にはなれない。
今は、あいつを騙してでも、あいつを鍛え、後を継がせるしかないのだ。………分かってくれ。こんな人の道に反する事、私としても本意ではない。
芙蓉のような人でないモノに、我が子を誘惑させるような真似が、父親として楽しいはずがないだろう」
「………芙蓉を、あの子に与えた時から、そのような事を考えていたのですか?」
「最初は、あいつに陰陽師の世界とはどういったものかを肌で感じさせるのが目的だった。だが………言い訳はしない。
あいつが芙蓉を自分のものにしたがるように………自分の意志で私を越える陰陽師となって、東の頭領になれるように誘導するように命じたのは事実だ。
あいつに恨まれようとも、私はあいつを後継者として育てあげてみせる。そして、あいつの望み通りに芙蓉の主としてやろうと思う。
それだけが………親として道を踏み外した私に出来る事なのだからな」
私は、その父の言葉を、黙って聞いていました。以外と衝撃は少なかったですね。きっと、私も、頭の片隅にはあったのでしょう。
自分の意志で歩んでいるはずの道が、誰かに誘導されているをいう事への少なからぬ疑いの想いは………いつも心の片隅にはあったのです。
それが真実であると確認できただけでした。私は、凍り付いた心を胸に、その部屋へ背を向けたのでした。
部屋に戻った私は、芙蓉に歩み寄ると、その頬を叩きました。
流石の芙蓉も、なぜ自分が叩かれなければならないのか分からなかったでしょう。
僅かに赤くなった頬を押さえ、不思議そうにしていました。
「晴明様、何をなさるのですか?」
私の凍り付いた心に、真っ黒な想いが渦巻きました。それは裏切られた事への憎しみでした。
誰よりも大事に想い、歪んでいながらも純粋だった想いを裏切られた事で、私は平常ではいられませんでした。
「芙蓉。我が父より命じられた事、全て話してくれますね?」
「申し訳ありませんが、その命令には従えません」
「私には言わないように命じられているのですか?」
「はい」
「では質問を変えます。私を弄んで、楽しいですか?」
私には憎しみしかありませんでした。
「質問の意図が理解できません」
「お前は私を誘惑し、自分をエサに私が陰陽師の頂点に立つ事を目指すように誘導することを、私の父より命じられたそうですね?」
「その問いに答える事はできません」
「つまり、そう命じられたという事ですね」
「その問いに答える事はできません」
「同じ事です。答えなければ、肯定する事なのですから」
「………」
「黙っていても同じことです。まったく………まるで馬の前にぶら下げられる人参のようですね?そんな真似をして楽しいのですか?」
「私の願いは、晴明様に主となって頂く事です」
「それが命令であったからでしょう?」
「その問いに答える事はできません」
芙蓉は通常であれば普通に受け答え出来る存在です。しかし、そこに命令が絡むと、とたんに融通がきかなくなります。
それは式特有の特徴であったのですが………その時の私には、それを理解できるだけの冷静さはありませんでした。
「いい加減になさい!お前には、自分の意志というものがないのですか!」
「あります」
「では、答えなさい。私を誘惑したのはなぜです?」
「そのようなつもりはありません」
「では、私の勘違いだというのですか?お前の事を誰にも渡したくないと感じたこの心は、お前によって植え付けられた物ではないのですか!?」
「そのようなつもりはありません」
「私の………このお前を大事に………好きだという想いが分からないというのですか?」
馬鹿ですね。我ながら、救いようのない馬鹿さ加減です。式に愛を語るなど………。
「私は式です。人間のような感情というものは殆ど存在しません」
「私の側に居たいという言葉は嘘だったのですか?」
「本当です。私の願いは、晴明様に主となって頂く事です。その想いに偽りはありません」
「そう命令されたからでしょう?」
「………」
「………答えられないのでしたね。では、この質問ならどうです?お前は、なぜ、私の世話をするようになったのですか?」
今まで盲信していた分、その疑いの想いは何処までも深くなっていったのでしょう。
私は芙蓉との思い出の全てに疑問を投げかける事になったのです。
「そう命じられたからです」
「神将のうち、なぜお前が、私の世話をする事になったのです?」
「私が、そう願ったからです」
「なぜです?」
「晴明様の名前が、我が真実の主・安倍晴明様のものに似ていたからです。そして、その秘めた力が、安倍晴明様に匹敵すると判断したからです」
「それだけですか?」
「はい」
「つまり、昔の主に………安倍晴明が懐かしくて、私にその影を重ねていたという訳ですね」
「そうです」
「今もそうなのですか?」
「そうだと思います」
「つまり、お前は私を見ていたのではなく………私の向こう側しか見ていないのですね」
「私達にとって、主とは安倍晴明様だけです」
段々と馬鹿らしくなってきていたのを覚えていますよ。自分一人で勝手に盛り上がっていたのです。滑稽も良い所です。
「では、なぜ御門家に仕えてきたのですか?」
「安倍晴明様にそう命じられたからです」
「自分の後を継ぐ者達に仕えろと?」
「そうです」
「………今まで仕えてきた中で、大事に思う人間はいますか?」
「安倍晴明様です」
当然ですね。芙蓉ら一二神将は安倍晴明を主とする式神なのですから。
「私の事はどう思っていますか?」
「安倍晴明様の後継者の一員です」
「別段、大事に想う事はないと?」
「大事には想います。晴明様は、安倍晴明様、安倍泰親様についで三人目に匹敵しますから」
「………それは陰陽師としての私の事ですね?」
「はい」
つまり、芙蓉にとって重要だったのは私の名前であった訳です。
そして、男としての私はどうでもよく、陰陽師としての私を大事に想っていた訳です。
「晴明様の力は、私の見てきた歴代の陰陽師達の中で三人目に匹敵します」
「一人の男として、私を見た場合はどうです?」
最後の頼みとでもいうか………悪あがきでしょうね。
「普通の男性です。容姿は整っていると思います」
私は、涙を流しながら笑いの衝動を抑えるのに必死でした。笑えるでしょう?こんなものを私は欲しがっていたのですからね。
芙蓉が式で、この程度の代物だというのは誰よりも知っているはずなのに………馬鹿馬鹿しい。私は自分が、ここまで馬鹿だったとは知りませんでした。
芙蓉というモノは、名前が安倍晴明に似ていて、力がある陰陽師なら、誰でも良かったというのですから。
なんで、こんなモノに私は、ここまで拘っていたんでしょうかね?史上最低の恋愛劇ですよ。まあ、冗談としては一流でしょうがね。
それを理解した時。私から、急速に笑いの衝動が消え去っていきました。そして、心が前以上に冷え、渇いていくのが分かりました。
最早、涙はありません。憎しみも愛情も、執着心もありません。あるのは………凍り付き、乾ききった、この心だけです。
「………わかりました。明日より、側に来ないで下さい。目障りです」
「申し訳ありませんが、その命令には従えません」
「そういえば、そうでしたね。では出来るだけ離れていて下さい。口もきかないで下さい。貴方の声を聞くのは不愉快です」
「………」
「それで良いのです。あと、私の視界に入らないように気をつけてくれれば嬉しいですね」
こうして、私の10年近い初恋は幕を閉じたのです。まあ、自分勝手な思いこみだったんですけどね。
目の前で面白くもなさそうにお茶をすする村雨を相手に、私は溜め息混じりに昔話を終えました。
「今にしてみれば、芙蓉の笑顔というものを一度も見たことがなかったのです。
それが私にしてみれば当たり前だったせいで、その異常さに気がつかなったのでしょうね。
感情というものが希薄な芙蓉には、そういった人間らしい喜怒哀楽の感情が殆どなかったのですよ。
しかし、無理もありません。1000年を越えて生きる存在に、感情など不要なのですから」
「そうかあ?」
「不要です。いえ、むしろ邪魔でしょう。死なない………いや、死ねない生き物に感情などあっては、可哀相なだけです」
「だから、芙蓉のヤツには笑みは似合わねえって?」
「どうでしょうね。そこまでは何ともいえません。しかし、私には、良い事とは思えませんよ」
「なんでだ?」
「いいですか?芙蓉は不滅の存在………死ねない生き物なのです。もしかすると、我々人類が死滅しても、まだ生きているかも知れません」
「オイオイ、いくらなんでも、そこまで長生きするのかよ?」
「1000年生きたのです。あと5000年生きると言われても、別に驚きはしませんよ。しかし、そこには問題があるのです。
好きになった人間や、大事に想う人間が自分を残して死んでいくの見るしかない立場にいる者に感情があったらどうです?
そんな悲しみを味わうしかない立場の者に感情があった方が、本当に良いと思うのですか?」
私の言葉にようやく合点がいったのでしょう。村雨は、煙草に火を灯しながら、溜め息混じりに答えました。
「死ねない生き物、か。そう考えたら、確かに良い事じゃねーやな」
「………私は以前に、1500年近く生きている存在に会った事があります」
「ああ?なんだそりゃ?」
「古い、妖(あやかし)の一つです。そのモノは女性でしたが、言っていましたよ。思い出は風化してくれる。それは悲しいが嬉しくもある。
いつか感情も風化するのだろう。自分に感情が………悲しみを感じる心がなくなる日が待ち遠しいとね」
「………」
「自分は何か悲しい想いを心に抱いている。しかし、何がそんなに悲しいのか、よく覚えていないというのです。
それが、感情を持ちながら1500年を越えて生きるという事なのです。………死ねない定めをもった生き物の抱える悲しみなのですよ」
その想像を絶する悲しみと苦しみは、我々人間には理解することは決して出来はしないでしょう。
「頭は忘れても、心がその痛みを覚えてるって訳か。………楽じゃねーよな」
「我々は寿命が有ることに感謝すべきですね」
「そうだな」
こう意見の合意を得た私は、本題へと話しを移しました。
「では、以上の話しを踏まえた上で聞きます。貴方は芙蓉を人間らしくしたのですか?」
「………ああ」
「芙蓉に悲しみを覚えさせたいというのですね?」
「感情には、喜びだってあるぜ?」
「その喜びは時間と共に悲しみを生む原因になるだけです」
「否定はしねえさ。俺達は、所詮、アイツの長い人生の中では、瞬きする時間くらいしか関与しねえんだろうからな。
だけどよ、その喜びを感じる心に嘘はねえぜ?生きてりゃ嬉しい事だって悲しい事だってある。それが生きるって事だろ?」
「それは人間の場合だけですよ、 芙蓉に感情は不要です」
「あのなぁ。生きることの喜びを知らねえで生き続ける事に意味なんてねえだろうがよ?そんなヤツぁ死んでんのと同じだぜ?
そんなただ呼吸するだけの生き物なんて、そこらの庭石とかと同じじゃねえか」
感情のない生きものは、庭石と同じ………ですか。確かにそうかも知れませんね。
「オレはあいつに生きるって事の良い面だけを教えてやるつもりだ」
「そんなアンバランスな事をしてどうなるというんです?」
「だから、オメエはあいつに悪い面を教えてやれよ。感情を持つってのは、こんだけ苦しい事になるんだってよ。オレには出来そうもねえからな。
その上で、判断は自分でさせりゃあ良いさ。あいつは自分で考える事の出来る頭があるんだろ?」
「無茶を言うものですね。あきれ果てた男です」
「そりゃあオメエだろうが」
「なんですって?もう一度言ってみなさい」
聞き捨てならない事を言いますね。
「ああ、何度でも言ってやるぜ。お前は芙蓉に感情が希薄なのを知ってたんだろう?
その上て、勝手に一人で盛り上がって、勝手に自爆して、それを全部あいつのせいにしたジコチューなクソモヤシ野郎だろうが?」
「………否定はしませんよ。納得は出来ませんがね」
正直、怒っても良かったのですがね。しかし、それを私も分かっていたのかも知れません。
「なんでアイツに心を………人の心を教えてやらなかったんだ?あいつは馬鹿じゃねえ。あいつは人間以上に賢い生き物なんだぜ?
人間の心だって………お前が抱えてた愛情とか執着心だって、時間さえかければ、絶対に理解出来てたはずなんだ。
お前はな………芙蓉の事を最初から人間じゃねえって諦めてたんだ。それでもどっか諦めきれなかったんだろうな。
色々悩んで、苦しんで、自分がそうなった事を誰かのせいにしたかったんじゃねえのか?
自分の気持ちが………人間でないモノを好きになった事自体が間違ってるって思いこもうとしただろだろーがよ。
良いじゃねえか、好きって気持ちに嘘はねえ。お前が芙蓉を好きになった時の気持ちに嘘はなかったんだ。
でも、お前はそれが間違ってると思っちまった。結局はよ………お前は、自分に負けたんだ。
そのくせ、自分勝手にアイツを追い込んで、その上で自分を裏切っただと?………いい加減にしろや。
お前はな………芙蓉のヤツが人間らしくねえのを知ってたのに、それを改善する努力を怠ったんだ。
アイツを好きになったのは良いさ。だけどな………アイツは好きって感情をまだ知らねえんだ。
それを教えてやらなかったのは誰だ?アイツに人を好きになる気持ちを………人の心ってのを教えなかったのは誰だ?
ええ?答えてみろよ?御門家当主のお偉い陰陽師さんよ?オメエは賢いんだろう?」
その言葉に私は弁解する事すらも出来ませんでした。
「芙蓉は悪くねえ。悪いのはお前だ」
「………そうですね。悪いのは、私の方なんでしょうね」
確かに、そうなのかも知れません。
「悪かったな、 キツイ事言ってよ。………でも、あの時の芙蓉だって、きっと、こんな気持ちだったんだぜ?
あいつがお前に興味をもった理由なんてどうでも良いじゃねえか。お前は、アイツと10年近く一緒にいたんだろうが。
その間、お前の事だけを想って、お前の側でお前だけを見つめてきたのは誰だ?芙蓉だけだろ?
だから、お前は芙蓉の事を好きになったんだろう?その気持ちになんで、疑問が生まれるんだ?
あいつはお前を大事に想ってるって言ったんだろう?まあ、理由がアレだったんだけど………。
でもよ………もしかすると、自分でも理解出来てないだけだったのかも知れねえじゃねえか。
でも、お前はロクにそういった事を教えないでアイツを追い込んで、答えを強要したんだ。
だから、あんな風に答えるしかなかったんじゃねえのか?
お前だって、あんな状況で、あんな事聞いたら、どんな答えが返ってくるか………想像出来てたはずだろ?
それなのに、なんであいつをあそこまで追い込んだんだ?なんでアイツを傷つける事しかしなかったんだ?
アイツが悪いってのか?悪いのはお前のオヤジさんと、お前自身じゃねえのか?
………なんで、お前はそうなんだよ?なんで、お前はアイツの立場にたって考えてやれなかったんだ?」
返す言葉もありません。
「まあ、今更過ぎた事をグダグダ言っても仕方ねえか。………正直に答えろよ。お前、実際のところ、芙蓉の事どう思ってるんだ?」
「………式の一つですよ」
「正直に答えろって言ったぜ?嘘つくんじゃねえよ」
「嘘ではありませんよ」
「だったら、なんでいつも芙蓉だけを自分の側に置いとくんだ?昔、そんな事があったんなら顔も見たくねえはずだろ?」
「それは………」
「答えに詰まったな。それがお前の本心ってヤツだ」
叶いませんね。
「………多分、まだ未練があるんでしょう。でも、私には、もうそんな資格はありません」
「無理すんなって。全然諦めてませんってツラしてるぜ?」
「そういうお前はどうなのです?」
「自分のものにしたいって思ってる。まあ、人間らしくしてやりてえってのが一番だけどな」
「人間らしく云々というのはともかくとして………芙蓉を自分のものにしたいというのは、絶対に無理ですね。
芙蓉が東の陰陽師の頭領にしか仕えないのはお前も知っているでしょう?芙蓉は古の契約に縛られているのです」
「へっ。オレ様の天運に不可能はねえ。オレは不可能を可能にする男だぜ?」
村雨は、こういった男でしたね。
「お前にとっては、絶望的な状況ですよ。それでも諦めないのですか?」
私は、答えの分かっている問いをなぜするのでしょう?
「知らねえのか?天運ってのは、そういった状況をひっくり返すためにあるんだぜ?」
それは、村雨から私に対する宣戦布告だったのかも知れません。
そして、恐らくは私もそれを聞きたかったのでしょう。
「では、今日から競争ですね」
「ようやく正直になりやがった」
「私を敵に回した事を後悔させてあげますよ」
「精々頑張んな。冷血人間のオメエに芙蓉を振り向かす事なんて無理だせ」
「知らないようですね。私には、お前と違って10年の時間と古の契約というアドバンテージがあるのですよ?」
「オメエだって知らねえらしいな。オレ様にはどんな逆境だってひっくり返せる天運があるんだぜ?」
かつて歪んだ道がありました。
「精々頑張るのですね。いつかお前にも分かるでしょう。不可能という言葉は、それを覆せないからこその不可能なのだという事を」
そして、その道は別れ、もう二度と一つにならないと思っていました。
「その言葉、そっくりそのまま返してやるぜ。不可能ってのは、負け犬のためにあるだって思い知らせてやるぜ」
でも………もしかすると………その道を再び一つにすることは、あるいは出来るのかも知れません。
「仕方ない男です。せいぜい私を楽しませて下さい」
私の笑みに、村雨はただ笑みを返したのでした。
異国の偉大な発明王の残した言葉にこうあります。
Genius is one percent inspiration and ninety-nine percent perspiration.
〜Edison, Thomas Alva〜
『この世で最悪の破綻者は、情熱を失った者である』
そうやら私は諦めて全てを失ってしまう所だったようです。
そして、異国の名言にこういったものもあります。
Experience is the best of schoolmaster, only the school-fees are heavy.
〜Carlyle,Thomas〜
『経験は最上の教師である。しかし授業料は高くつく』
まさに名言ですね。耳に痛いとは、まさにこの事です。
今の私は、立場はともかくとして、あの男に一歩も二歩もリードを許してしまっています。
このリードは、なかなか取り戻しがたいものではありますが………今度は、諦める訳にはいかないでしょう。
まずは、謝る事から始めるとしましょうか。
全ては、そこから始めなければならないでしょうからね。
<終わり>
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