Neon Genesis Evangelion SS.
write by 雪乃丞.
鬼の血族    <前編>




 赤い月が燃えていた。
夜空を燃やし尽くそうとするかのように、煌々と。
青白い焔に身を焼かれながら、月は千年前と変わらぬ姿を見せていた。

「綺麗な月だ」

 ある日、ある時、ある場所で。
 夜空を見上げる、一人の男の姿があった。
 長身痩躯といえば、そうとしか見えないであろう、ひどく痩せて、全身を倦怠感に包ませた………そんな男が。そして、そこで月を見上げている男の前には、なぜだか朱塗りの鞘の野太刀が横たえられていた。

「そうですね」

 そんな男の側には、一人の女の姿があった。

「………お雪よ」
「はい」
「お主は………儂を恨んでおるだろうな」
「なぜでございますか?」
「それだけの仕打ちをしてきたと自覚しておるからだ」
「はて………なんのことでしょう。私には覚えはありませんね」
「戯れ言を………」
「戯れ言などではありませんわ」

 そんな女の答えに、男は、ため息を漏らしながら手ずから酒杯をたぐり寄せると、徳利から透明な液体を注ぎ、そのまま一息に飲み干した。

「荒れているようですね」
「………なにがだ?」
「貴方様のお心が………ひどく揺れておられるようです」
「………そうかも知れぬな」

 そんな不機嫌そうな声を返し、なおも酒を口にしようとする男に、お雪と呼ばれた女は、小さく苦笑を浮かべて見せていた。そんなお雪に、男は、なおも小さく謝罪の言葉をかけたのだが………女は、それに「覚えがない」と、不思議そうに答えただけだった。どうやら自覚できていないらしい。

「………儂のやってきたことは、何だったのだろうな?」

 そんなお雪の言葉にいい加減諦めたのか。男は、ゆっくりと言葉をかけていた。

「旦那様はご立派な………」
「刀匠だ等と抜かすなよ?」
「………武人ですわ」
「フッ。そうきたか」
「旦那様を超えるような、鬼手螺那(キシュラナ)の使い手は………」

 楽しげに、愛おしげに。男はクックックと笑みを漏らしながら女を抱き寄せていた。

「お主は、本当におかしな女だ」
「私は、そんなに、おかしなことを言いましたか?」
「お前は、この剣を………儂に、人外の剣………この鬼手螺那の剣を授けたのは、誰だ?」
「私ですわ」
「では、儂よりも強い剣士は?」
「………私くらいですかねぇ」
「そらみたことか………儂など、所詮は、その程度………」
「それでも、ですわ」

 男の声を遮った声は、なおも男をたたえ続けていた。

「旦那様を超える剣士………それも、鬼手螺那の使い手などいませんわ」
「お主がいる」
「私のは………同じ鬼手螺那であっても、剣ではございませんので」

 そんな女の言葉を男は黙って聞いていた。

「それに、旦那様が名を馳せることになったのは、この見事な剣をこしらえることを可能とする刀匠の腕だけでなく、それを誰よりも達者に扱う剣技あってこそでございましょう?」

 それを黙って聞いていた男の顔に陰りがさしたのは、その瞬間のことだった。夜空を煌々と照らしていた月に、薄く雲がかかったのだ。だが、その陰りは月明かりを遮る薄雲のせいだけではなかったのであろう。

「………儂は、刀匠よ。武士ではない」
「旦那様」
「わかっておるのだ。どれほど腕を磨こうとも、それがどれほどの滑稽な事かというのはな」

 ため息をつきながら、男は疲れた吐息をはき出していた。

「儂は………」
「旦那様がどれだけ苦しい道のりを歩んできたか。それを側でみてきた私には、旦那様の価値というものが分かっています。それに………誰よりも見事な刀をこしらえる様になっただけではなく、誰よりも強くなったのでございましょう?それだけでは不満なのですか?」
「不満だ」
「この都はおろか近隣の国の中でさえ、貴方様にかなう者などおりませんのに………」
「………それは、どうだろうな」

 男の頬に一筋の涙が伝っていた。

「お雪よ」
「はい」
「儂はな………単に強くなりたかっただけなのだ」
「存じております」
「儂は………誰よりも達者に、自ら打った、この業物を扱えるという自覚がある」
「それを疑ったことはありません」
「だがな………それは目的あってのことだったのだ」

 朱塗りの鞘を手にとりながら。男はぽつり、ぽつりと漏らしていた。

「儂の妻は………いまより、何十年も前に、死んだ」
「存じております」
「病や、事故によるものなら、ここまで悔いは残らなかったやもしれん」
「違ったのですね」
「………あれは、“鬼”よ」
「おに?」
「儂の妻は、物の怪に殺されたのだ。ほかでもない、儂の目の前でな」

 そう口にする男の肩が小さく震えていた。

「そんなことがあってから………儂は自らを鍛えてきた。たった一人のモノに勝ちたいと願い、それだけを目標に己を高めてきたのだ」
「はい」
「その背に、深紅の十字を背負った、あの物の怪を………齢千年を超えると噂される、かの大妖を。深紅の夜叉を、この手でしとめるために。それだけを願い、そのためだけに生きてきた」

 シュルリと衣擦れの音を響かせながら、その夜の空気をまとう青白い刀身の見事な出来映えよ。一度鞘から抜き放てば、血を吸わずにはいられない、その艶やかにして禍々しい刀の刃紋は、うねるようによじれていた。………妖刀。そう表現するに相応しい業物であり、空気だった。

「なぜ、お主だった」
「………旦那様」
「なぜ、儂は………」

 一閃。

「なぜ、儂とお前は出会ってしまった?」

 白銀の閃光から身をかわすことすらせず、お雪は立ち尽くしていた。

「なぜ、お前は………」

 ハラリと。

「一目会った、その時より………貴方様を愛してしまったから」
「だから………なのか?」
「………」
「だから、儂の妻を………」

 殺したのか?
 だから………儂に、自らの知る剣の技を教えたというのか。

 声にならない糾弾は、女の目に涙を浮かばせていた。しかし、その表情は笑みをも刻んでいた。それが、己の本性であるというかのごとく。

「理由は、それだけで十分ですわ」

 その身をおおう、純白の衣をとめていた帯が薄く切り裂かれていたのであろう。お雪は、その姿を月明かりの下に晒していた。その名の示す通りに、雪のように白い素肌を。そして、その背に刻まれた深紅の十字を。紅十字。その傷跡にも似たモノを背負う妖(あやかし)を、人は紅夜叉と呼んでいた。

「お雪よ………いや、紅夜叉よ」
「なんです?」
「お前は、儂になにをさせようと言うのだ?」
「なにも?」
「………」
「私の望みは、貴方様の側に居ることだけ。………ただ、それだけだった」

 だが、と言葉を続けるお雪こと、紅の夜叉の名をもつ鬼女に、男は手にした刀を向けていた。

「………紅葉」
「なに?」
「私の本当の名は………紅葉」

 ゆっくりと振りかぶられる刀を前に、その女(ヒト)の姿をした夜叉は笑っていた。ひどく艶やかに。ひどく楽しげに。そして………満足そうに。

「鬼女、紅葉。なぜ、お前は、儂に名を………その名を教える」
「それが、良いことだと思ったから………ではいけませんか?」
「………本当に、それだけなのか?」
「そうですねぇ………あえて付け加えるとすれば………」

 月明かりが歪む。そこにまるで「何か」が浮かんでいるかのように。

「この鬼手螺那の技を、思う存分振るえる相手に、ようやく出会えたから。アナタという剣士なら、私の鬼手螺那を………この人ならざるモノの拳を受け止めることが出来る。そう感じているから………」

 九重。そう、その口は確かに動いていた。

「愛していますわ。誰よりも………」
「戯れ言を………」
「それが、私というものの"有り様"ですから」

 そんな二人を、夜空の月だけが見下ろしていた。








「………かくして、すったもんだの人情沙汰の果てに、鬼の剣は人の世界へと受け継がれましたとさ。めでたし、めでたしっと………う〜ん、いい話だねぇ」

 そう軽い言葉で話しを終わらせた少年であったが。

 スパァ〜ン!

「いた!」

 同じように横で話しを聞いていた赤毛の少女は、それに竹刀でもって答えていた。

「アンタって、サイッテー!」
「なんでだよ?」
「なんで、こんな話を聞いて、それなの!?」
「それって?」
「なんにも感じなかったのかって聞いてるの!」
「ん〜………だって、この話って、ハッピーエンドじゃない?」
「どこがよ!?最後は、離ればなれになっちゃうのよ!?」
「そうだっけ?」
「そうなの!」

 確かに、最後は九重という名の男は人の世で生きてゆくことを選び、鬼女紅葉と名乗った女は自らの世界にかえってゆくことで物語が終わっている。だが、それまでの時間の中であったのであろう蜜月の時間と、互いの確執をも超えさせた愛情、そして互いの技がよりお互いを強くすることを可能としたことまで含めてバッドエンドというのは、少年にとっては納得いかなかったのであろう。

「あれだけ愛し合ってたのに、殺し合いまでしてるのよ?」
「まあ、そうだけど………」
「これを悲劇と言わないで、何が悲劇よ!」
「………そうかな?その殺し合いにしたところで、結局は誤解の産物で………」
「うっさい!」

 パシ〜ン!

「痛いってば!」
「うるさい!この冷血漢!」
「なんでそうなるんだよ!」
「問答無用!!」

 そう目の前に突きつけられた竹刀の先っぽを凝視するかのように目を寄せる黒髪の少年に、竹刀を手にしたまま赤毛の少女は、ひどく憤慨した様子を見せていた。

「はっはっは。まあ、アスカくん。君の気持ちもわからないでもないが………。この道場に君の付き添いできているに過ぎない彼にしてみれば、私たちの流派に伝わるこの話も、所詮はおとぎ話でしかないのだろう。だから、そのくらいにしておいてあげなさい」

 そう今にも少年を竹刀でめった打ちにしかねない様子の少女………アスカと呼ばれた赤い髪の少女に声をかけたのは、白い髪に似合う胴着と袴を身につけた、齢60近い老人だった。

「冬月先生」
「なんだね?シンジ君」

 そして、会話の内容から察するに、アスカに竹刀を突きつけられているのは、シンジという名の男の子なのであろう。見た感じは、まだ14才くらいで、自分に竹刀を突きつけているアスカと同い年なのだろうが、その格好は学生服のままだった。ちなみに、アスカは先生と呼ばれていた冬月と同じく、白い胴着を身につけていたのだが。

「今の話って、本当のことなんですか?」
「この話のことかね?」
「はい」
「所詮は、おとぎ話さ。これを信じるも信じないも、君たちの勝手だ」
「先生は信じているんですか?」
「私かね?」

 そう改めて問われた冬月は、しばし考え込んで答えていた。

「そうだな………私は、一応は信じているかな?」
「へぇ………意外とロマンチストですね」
「シンジ!」
「はっはっは。かまわんよ。自分でも、少しは自覚していたところなのでね。………だが、この剣を修める者達は、みな信じてしまうのだよ」

 そう言うと、冬月は竹刀を手に立ち上がった。

「なんでです?」
「信じざるえなくなるからさ」
「信じざるえなくなる………」
「これが人の生み出したモノではないことを、必然として、納得してしまうという意味だよ」

 そう考え込むシンジに声をかけた冬月は、笑みを浮かべたままでアスカへと視線を移していた。

「アスカ君」
「あっ、はい」
「君は、たしか、今日で15才だったね?」
「え?………そうですけど………それが、なにか?」
「いや、君が良かったらで良いのだが………」

 少しだけタメをつくって。冬月は、一言、一言、聞き間違えようのないほどの丁寧さで言葉をつづけた。

「鬼手螺那の奥義にして、裏の全ての基本となる技。剛剣士の技、極めてみる気はないかね?」
「!!?」

 かけられた言葉は穏やかなモノだったが、それでもアスカの表情は驚愕に歪んでいた。

「わ、私が………剛剣士を、極める?」
「正直にいって、君には類い希な素質がある。天才といってもいいだろう」
「………でも………」
「君になら、私を超えることが出来ると感じているのだが………どうだね?」

 果たして、剛剣士とは如何なる代物なのであろう?そして、それを極めるとは………?

「ねえ、アスカ」
「なに?」
「ゴーケンシって、なに?」
「………」

 そんな基本的なことを尋ねたシンジに、アスカは黙り込んだまま振るえていた。

「こぉんの、バカシンジ〜!!」

 スパパパ〜ン!

「い、痛いよ、アスカ!そんなに怒らなくても良いじゃないか!」
「あんたみたいなのをココに連れてきたのが、私の失敗の始まりだったのよ!」
「なんでだよ!だいたい、アスカをここを紹介したのは僕じゃないか!」
「いいから帰れ!今すぐ、山奥の家に帰れ〜!」
「なんで、そうなるんだよ〜!」

 そんな二人の追い駆けっこ(ムキー!と怒って竹刀を振り回すアスカから、冷や汗を浮かべたシンジが必死に逃げ回っているとも言う)を見ながら、冬月は苦笑を浮かべていた。

『………どうやら、今日も、この話は出来そうにないな』

 もっとも、その胸中は複雑なのであろうが。








 さて、ここで少しだけ話を整理しておこう。

 鬼手螺那流。
 その起源は、遙かな昔だと言われている。

 曰く、鬼の剣。
 曰く、人の世にあらざるモノ達より託された剣。
 曰く、人の世にあらざるモノを討つために編み出された、人の世にあってはならない剣。

 それが、どのようにして編み出され、どのようにして人に受け継がれてきたのか。その全てが謎に満ちているという剣術。それこそが、鬼の剣こと、鬼手螺那流剣術だった。

 その名に鬼の手と書かれているのは、伊達ではなかったのかも知れない。なにしろ、道場に通い始めて僅か数年。未だ初伝の域にさえ達していないアスカでさえ、全国大会の常連となっており、そこで決勝を争うのはいつでも自分と同じ鬼手螺那流を修めた、青い髪の少女だというのだから。

「あんな遅い剣しか振るえないなら、子供でも勝てるわよ」

 とは、それまでの大会で連続優勝していた猛者を余裕で下して見せた時のアスカの言葉である。ちなみに、そんな「普通の大会なんてつまらない」と平気で口にするアスカが、未だにごく普通の剣道の大会に出続けているのは、そこで、もう一人の鬼手螺那流の使い手と戦うのが目的なのだとか。

 そんな今の時代でさえ最強とされ、古流として名の知られているのが、鬼手螺那流剣術なのである。だが、アスカは、そこで全力をだして戦うことを師匠である冬月より禁じられていた。大会で使っている鬼手螺那流が表の顔であるとすれば、冬月が受け継いでいるのは、裏の顔ともいうべき、もう一つの鬼手螺那流だったのだ。だからこそ、アスカは、裏の技もいくつか伝授されている。だが、それは裏というだけあって、人前では使えないような技でもあったのであろう。たとえば、剛剣士などが、そうだ。

 鬼手螺那流、剛剣士。それこそが、裏の鬼手螺那流の基本にして奥義ともいうべき技だった。

「ついに、私も剛剣士使いかぁ〜………なんか、緊張してくるわねぇ」
「そんなに凄いの?その剛剣士って技」
「凄いのなんのって………まさに、あれこそが最強の証よ!」
「………そうなんだ」

 そんな背後で爆発でもしかねないほどにヒートアップしているアスカとは対照的に、シンジは疲れたような笑みを浮かべていた。ちなみに、その顔に青い痣が残っているのはいつものことなので、もはや被害者であるシンジ本人はもとより、加害者であるアスカも気にもしてない。………それでいいのか?

「まあ、いいんじゃない?」
「なによ、それ?興味ないの?」

 ここで素直にゼンゼンなんて答えたら、シンジの顔の痣はもう一個増えるだろう。

「………その剛剣士とかいう技を覚えたら、今より強くなるんでしょ?」
「そうね」
「そうなると、いよいよアスカに敵はいなくなるね」
「まあねぇ〜」

 そう自信ありげに答えたアスカであったが、そんなヘッヘ〜ンといった表情は、次の瞬間には歪んでいた。

「でも、アイツがいるわ」
「アイツって………綾波レイさんって人?」
「そうよ!アイツがいる限り、私は最強になれないわ!」
「………まあ、五回連続で負けてるからね」
「うるさい!」

 アスカが始めて全国大会で優勝した年の翌年から、突然として全国大会に姿を見せるようになった、もう一人の女傑………鬼手螺那流剣士、綾波レイ。同じ鬼手螺那流の剣士であるアスカは、レイに未だに勝った事がなかった。もしも、レイがいなければ、アスカは五連続準優勝などという名誉に甘んじることはなかったのであろうが………。あるいは、レイもアスカのような鬼手螺那流の使い手が現れるまで、普通の大会に出る意義を見出せていなかったのかもしれない。

「今度という今度は、絶対に負けないんだから!」

 そんなアスカの横で、「ライバルがいるのは良いことだよ」等と呑気なことを言いながら笑みを浮かべていたシンジであったが。

「そういえばさ」
「え?」
「アンタって、なんで鬼手螺那流習わないの?」
「なんでって………」
「冬月先生が、アンタのこと認めてるの知ってるんでしょ?」
「らしいね」

 より正確に言うなら、冬月が一方的にシンジを弟子にしたがっているだけなのだが。なにしろ「なまっちょろい剣道なんかじゃない、本物の剣術を習いたい!」と常々口にしていたアスカに、「それなら怖いものを見せてあげるよ」と冬月の道場を紹介したのが、他でもないシンジなのだ。そして、冬月は門下生には大らかな反面、自分が気に入らない相手にはひどく冷たい一面も持っていた。なにしろ、自分の認めた者以外は、道場に上がることすら許さないというのだから。それは、逆説的に言うなら、シンジの素質を認めているからこそ、道場に上がることを許しているということになるのだろう。だが、シンジに言わせれば、それは誤解ということになるのだ。

「たしか、先生が、お父さんの知り合いだったんだっけ?」
「うん。それに母さんって、昔、冬月さんにお世話になったことがあったからって。………それ以来の付き合いらしいよ」
「へぇ」
「なにしろ、父さんと母さんって、冬月先生に、仲人までしてもらっているらしいから」

 両親の個人的なつながり以外はない。そうシンジは暗に答えていたのであろう。

「あれから、もう3年か………」
「早いものだね」
「まっ、アンタには感謝してるわ」
「そうなの?」
「その件に関してだけはね」

 そこで、現代の剣道はおろか、戦国時代の剣術よりも恐ろしい鬼手螺那流を見せれば、きっと諦めるだろうと思ってのことだったのであろうが………。そこでシンジの依頼を受けた冬月が見せた鬼手螺那流の奥義は、見事にアスカの心の琴線に触れてしまったらしく、今ではシンジを引きずりながら冬月の元へと通う毎日である。なぜ、シンジが一緒なのかというと………。

「いい加減、OKしなさいよ」
「イヤだね」
「なんでよ?アンタが大人しくウチの道場の門下生にならないから、こうして毎日連れてこないといけないんじゃない」

 どうやら、それが冬月が出したアスカの入門を許可する条件だったらしい。ちなみに、生まれつき運動神経が良かったアスカには、かなりの素質があったらしく、冬月が奥義を見せる気になったのも、それによって自分の門下生になることを見越していたのではないかとは、シンジの想いである。………余計なことをすると感じているかどうかは、微妙なところであるが。

「アスカだって知ってるんじゃないの?」
「なにをよ?」
「あの人が僕に目をつけたのは、単に逃げ足が早いからだよ。………ただ、それだけなんだ」
「ほんとに?」
「多分ね」

 ひどく足の速い子だから、そんな子供に自分の知る剣術を教えてみたくなった。それで納得しろというには、シンジという名の少年は、少しばかり特殊だった。なにしろ、神速とまで言われているアスカの竹刀を、不意打ち以外ならわりと平気な顔でよけてしまうのだ。そして、通う中学の女子はおろか、男子の記録の中でもトップクラスにあるアスカの足をもってしても、容易には追い越せない足をもつのがシンジだった。

 それが普通の女子中学生なら問題はなかったのかも知れない。だが、相手はアスカであり、そんなアスカに冬月を紹介したのがシンジなのだ。ましてや、冬月が自ら弟子にしたがるほどに素質があると感じているのなら、そんな相手が弱いはずがないのだ。………少なくとも、アスカは、そう感じていた。だからであろう。ある時に、この事実に気がついて以来、アスカはずっと、あることが気になっていた。それは、シンジなら自分の剣をすべてかわして見せることが出来るのではないかということだった。つまり………いつもわざと受けているのではないか。だからこそ、あの程度の傷で済んでいるのではないか。それは、少なからずアスカの剣士としての血を興奮させうる想像だった。

『こいつ………マジで強いんじゃないかしら』

 そんなシンジが、冬月から「なぜ、そんなに足が速いのか」と聞かれて「昔、虐められていたから逃げ足だけは速くなったんです」と答えたのは、いつのことだったのか。アスカが学校では、なるべく鬼手螺那の剣を振るわないようにしているのと同じように、シンジも自分の持って生まれた脚力を見せようとはしていなかった。まるで、出来るだけ目立たないようにしているかのように。

 その全てが疑わしく、そして………不気味でもある少年。それが、シンジだった。

「ねえ………シンジ」
「なに?」

 なんとなく黙り込んだまま夕日に染まる道を歩いていた二人が、いつもの分かれ道に達した時、アスカは心の中の言葉をついに口にだす決意を固めていたのかも知れない。

「もしも………よ」

 そう口にするアスカは、なぜだかシンジの足元を見ていた。

「もしも、アタシが、アンタと勝負したいっていったら………アンタ、どうする?」
「逃げる」

 即答だった。

「………」
「僕なんかが、アスカに勝てるはずないじゃないか」

 そう馬鹿なことを言うなとばかりに切って捨てたシンジに、アスカはなぜだか安堵を覚えていた。………それは、気心の知れた相手を傷つけずにすんだことによるものなのか、それとも………。その答えは、容易には分からないであろう。

「………本気で言ってるの?」
「本気だよ。だいいち、僕がアスカに勝てるのなら、いつもこんな顔にはならないよ」

 そう自分の頬の痣を指差しながら笑うシンジに、アスカはなんとなく納得していた。

「まっ、そうよね。アンタ、根性ないもん」
「自覚はしてても、面と向かっては言われたくない言葉なんだけど………」
「いいのよ、あんたは、それで」
「どういう意味だよ?」
「いつまでも、そのままハンパ者でいろってことよ」

 そう楽しそうに笑うアスカに、なんとなく嬉しそうでいて、それでもどこか情けなそうな………そんな複雑な表情を浮かべたシンジが愛想笑いに失敗して顔を引きつらせていたのが、ますますアスカの笑みを深くさせていたのだった。








 時として、偶然とは面白い具合に日常を非日常の姿へと変えさせる。

「久しぶりね」

 それは、一人の少女が姿を見せた時から始まったのであろう。

「………だれ?」
「知らないわ」

 その日、いつものように前の日の夕刻に分かれた場所で。

「シンジの知り合い?」
「こんな可愛い子が知り合いなら嬉しいけど………って、痛い!」
「馬鹿なこと言ってないで、ちゃんと答えなさいよ」
「叩かなくても良いじゃないか」

 そこで、いつものように朝の待ち合わせをしていたシンジとアスカの前に、その青い髪の少女は姿をあらわしていた。そして、時を同じくして、冬月の元へも。シンジとアスカを非日常へと誘う霧の漂う朝は、そこに一人の少年をも運んで来ていたのかも知れない。

「お久しぶりですね。冬月先生」
「渚君か。………前に見た時は、今にも死にそうな顔をしていたが………ふむ、意外と元気そうだ」
「おかげさまで」

 霧の漂う庭先で、その少年は白い肌の表面を撫でるかのように濃い霧に包まれて立ち尽くしていた。

「濃霧の朝ですか」
「………これほど酷い霧は、久しぶりだ」
「そうですね。でも、僕は、こんな朝は好きですよ」

 スッと。渚を呼ばれた少年は、一歩を踏み出していた。

「これなら、貴方も本気を出せるでしょうから」

 ユラリユラリと絶え間なく揺れる手は、何を意味しているのか。そして、左右に揺れる腕が描く螺旋が、どのような現象を起こしうるのか。それは、冬月の緊張した表情を見るまでもなかった。

「ほう………ついに、修めたか」
「ええ」

 それは、短い確認。

「アナタに敗れた父と母の宿願、果たさせてもらいます」

 うすく浮かべられる笑みの裏には、紛れもない殺意が漂っていた。

「アナタの鬼の剣。今こそ、僕の手で越えてみせる」
「やれやれ。………これも、鬼の残した技を修めた者の業(つとめ)か」

 懐から、一振りの短刀を取り出した冬月の顔には、それでもどこか楽しげな笑みが浮かんでいた。

「いいだろう。………奥義、剛(業)剣士(死)の力。身をもって味わうがいい」

 それに答えたのは、風となって吹き付けられる刃だった。



<後編へ続く>





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