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Orignal SS.
write by 雪乃丞.
Dの名を持つモノ.
その夜。
僕は、薄暗い病室で、その人の事を見ていた。
こうして僕が、その人のことを見はじめてから、もうずいぶんと時間が経っている。
その人は、息は荒く、顔色も悪かった。
ピッ。ピッ。ピッ。ピピッ。ピッ。ピピピッ。ピッ。ピピッ。ピッ。ピッ。ピッ………。
さっきから聞こえる耳障りな音も、時々狂ったようなリズムを響かせている。
僕は、知っている。
この音は、この人の命が刻むリズムである事を。
そして、この人は、もう助からないという事も。
………いや、僕がここにいる以上は、絶対に助からない。
『………苦しい。誰か、助けて………』
この人のものであろう声が聞こえる。
辛そうな声だ。たぶん、苦しいんだろう。
それは心の声。もうこの人には、喋る力さえ残されてはいないのだから………。
しかし、意識がどんなに薄くなっても………生きている以上、痛みからは逃れられない。
僕は、この人を………楽にしてあげるために、ここに来た………。
「何をしている?早く楽にしてやれ」
いつのまに表れたのか………。
いつまでも何もしようとしない僕に、彼はそう声をかけてきた。
「なんで、キミがここに………?」
不思議そうに尋ねた僕に、彼は口の端を歪めて答えた。
「ここは病院だ。お前が来たように、私が訪れても、そう不思議な事でもないだろう?」
「………そういえば、そうだったね」
「しっかりしろ。お前は、なんのためにここにいるんだ?それを忘れたんじゃあるまいな?」
「………忘れてなんて、いないさ」
分ってるさ。
僕は、この人を楽にしてあげるために、ここに来たんから………。
僕は、そっと手を伸ばして、この人の額に触れた。
『………な、なに?なんなの?痛みが………きえて………』
困惑を漏らすその人に、僕は出来る限り優しく告げた。
「もう楽になって良いんだ。さあ、心を楽にして………」
僕の声が、もうその人に聞こえないのも承知の上で、僕はそうしていた。
僕は、こういう時、出来るだけ声をかけることにしている。
これが、僕に出来る精一杯の事だから………。
ピッ………ピッ………ピッ………ピッ………ピッ。
耳障りな音の間隔が、だんだんと広がっていく。
それは、僕の手の中で、その人の命の炎が消えて行く音だった。
僕は、この耳ざわりな音をだす機械が大嫌いだ。
だって、こんな風に僕のやっている事を責めるんだから………。
『な、なんで………こんなに暗いの?………パパ、ママ、電気を………つけ………て………』
僕の手の中で、その弱々しい命の炎が消えていく。
この感触だけは、何度やっても好きにはなれない。
だけど、僕には、それを止める事は許されない。
だって、僕はそのためにいるんだから………。
でも………きっと、この人は、僕のやる事を喜んではくれないんだろうな………。
ピッ………………ピ………………ピッ………………ピーーーーーーーー………………。
………消えた。
耳ざわりな音を聞くまでもない。
この人は、もういない。
僕が、その命の炎を、消したから………。
「………終ったよ」
いつものように数秒間の短い祈りを捧げた後、僕はそう告げながら彼の方を向いた。
しかし、そこには、もう彼はいなかった。
それを少しだけ寂しく思いながら、僕はその病室を後にしたのだった。
病院から外に出た時、外は雨が降っていた。
幸い風はないようで、霧雨にも似た細かい粒の雨が、静かに降っている。
僕は雨が嫌いではない。
着ている黒のロングコートの襟を立てると、そのまま雨のふる夜道を歩き始めた。
それからどれほどの時間がたったのだろう………。
僕は、気がつくと、一人の女性の前に立っていた。
その女性は、雨の降る夜道で、まるで何かから隠れようとするかの様にして、暗い影の中にうずくまっていた。
そして、傍目にも分るほどに怯えていたのだった。
「………もう………どうして、こんな目にあわなくちゃいけないの?」
どうやら、何か厄介な事になっているらしい。
その目は、まるで何かに怯えているかのように背後を睨みつけていた。
何があったのかは知らないが、この女性は心の何処かで、死を望んでいるのかも知れない。
なぜなら、この女性がそう望んだから、僕は、ここにいるのだから。
そして、僕にとって、その女性の命の炎を消す理由は、それだけで十分だった。
音もなく正面に立つと、いつもの様に、手を伸ばして、その女性の額に触れようとする。
「………貴方………誰なの?」
その一言が、僕をどれほど驚かしたか………きっと、その女性は、気がつかないのだろう。
まるで凍りついたかのように動かない僕を、まるで変質者を見るかのような視線で、睨む女性。
僕は、ただ困惑し、そして困り果てていたのだった。
おかしな事になったものだ。
あれから僕達は、彼女に誘われるままに、彼女の部屋へと来ていた。
こうして、人の部屋に、人に部屋へと誘われる事など、何時以来の事なのだろう?
そんな僕の想いに、彼女が気がつけるはずもない。
「ねえ、コーヒーと紅茶、どっちが好き?」
「必要ないよ」
そうどこか楽しげに尋ねた彼女に、僕は短く答えた。
僕の声は、果して彼女に聞こえるのだろうか?
もし、彼女が、僕の思った通りの人なら、きっと声は聞こえないはずなのだが………。
「ねえ、もっと大きな声で喋ってよ。そんなに小さな声でしか喋れないって訳じゃないんでしょう?」
「………いらない!」
僕は、出来るだけ大きな声で答えたつもりだった。
「………まあ、いいけどね」
どうやら、聞こえているらしい。
それが、彼女の中の自殺願望のせいなのか、それとも僕の仕事に関わる事なのか………。
そのあたりはまだはっきりとはしない。
でも、このままだと話すこと自体が、おそろしく面倒だな………。
そんな事を考えていた僕の前に、彼女は良い香りのするコーヒーを置きながら横に座ったのだった。
「いらないって言ったと思うんだけど?」
僕の小声(彼女の主観で)は、横に座った事で、それほど問題ではなくなったらしい。
彼女は「まあ、一応ね」とだけ答えたのだった。
そして、それから数分間。
彼女は冷え切った体を温めようとするかのように、静かにコーヒーを飲んでいた。
僕はというと、別になにもすることもない。
ただ湯気を漂わせるコーヒーのカップを見つめていた。
そして、体もある程度温まったのだろう。
「………ねえ、貴方、何者なの?」
そう不思議そうに彼女は、僕に尋ねてきた。
しかし、その問いに、僕は答えるつもりはなかった。
少なくとも、彼女が、僕と出会った理由がはっきりするまでは………。
「………だんまりってわけね。でも、貴方、普通の人じゃないのよね?」
その言葉に、僕はなんとなく含みを感じた。
「なぜ、そう思うの?」
顔を彼女の方に向けながら尋ねた僕に、彼女は分らない筈ないだろう?といった風に答えた。
「だって、貴方、あの雨の中一緒に歩いていたのに、全然濡れてないじゃない?
それに、いきなり私の前に表れるんだもの。………驚いちゃった。ついに、私も幽霊に出会ったんだーってね」
そう面白そうに話す彼女の視線から、僕は正直逃げたかった。
でも、なぜか僕はここから離れられなくなっていた。
………なるほどね。そういう事………か。
これなら、彼女に僕の事を教えてあげても良いかな………?
「キミ、名前は?」
「やっと、普通の反応を返してくれたわね?」
「………そうかな?」
「そうよ。私は、九重 蓮観(ここのえ はすみ)。蓮観とでも呼んで。仕事は、フリーのルポライターをやってるの。貴方は?」
「僕には、名前はないんだ」
「へえ。………じゃあ、なんて呼べば良いの?」
「そうだな………Dとでも呼んで」
「D?」
「うん。別に適当な名前で呼んでくれても良いけど」
「うーん………なら、Dって呼ぶね。でも、なんでDなの?」
「僕の名前に一番近いから」
「名前、ないんじゃなかったの?」
「あるけどね。でも、僕の名前は、名前じゃないんだ」
「難しいわね。まあ、良いわ。じゃあ、Dは私に何の用なの?」
「まだ分らない。でも、もうすぐ分ると思う」
「………ヘンな人」
「一応、言っておくけど、僕は人じゃないよ」
「知ってるわ。貴方みたいなヘンな人、始めて見たもの」
人じゃないって言ってるのに………。
「でも、これだけは教えて。貴方、狩野(かりの)の回し者じゃないわよね?」
「………違うよ」
「まあ、そうでしょうね。忘れて」
それっきり、蓮観は黙り込んだ。
大体、見当がついてきたな。
蓮観は、狩野とかいうヤツの何かしら弱みのようなものを掴んでしまったのだろう。
そして今夜。蓮観は、事故死するか、殺されるのか………とにかく、死ぬことになっている。
だから、僕と出会ったんだ。
Dの名を持つ、この僕に。
でも、それはまだ決まった事じゃないらしい。
蓮観が僕の声を聞き取りずらい事から、僕はそう推測していた。
もっとも、蓮観が僕を認識出来るのは何故だかは分らないけれど………。
………そういえば、随分と前に、蓮観と同じように僕を見る事の出来た人がいた。
「僕の姿を見ることが出来たのは、キミで二人目だよ」
「そうなの?」
「うん。その人もやっぱり女性の人でね。僕にDの名をくれた人なんだ」
「へえ………じゃあ、その人には、貴方の本当の名前が分ってたんだ」
「なんで、そう思うの?」
「だって、理由もなしにそんな変な名前つけないでしょう?」
「変………かな?」
「変よ。デビットとかそういった名前で、それを略してDっていうのならともかく………。フルネームでDなんて、絶対、変!」
「何もそう強調して言わなくても………」
「だって、これくらい言わないと、貴方、理解できそうもないもの」
「………怒ってる?」
ようやく僕は、蓮観が怒っているのに気がついた。
何が原因なのか………蓮観は、不愉快そうに眉を寄せていたのだった。
「別に、貴方が原因って訳じゃないわ。アイツ………」
「狩野って人が原因で怒ってるの?」
「そうよ!あいつめ………絶対に、後悔させてやるんだから!」
後悔するのは、多分、キミの方だと思うけどね………。
でも、それをキミに教えてあげる事は出来ないんだ。
それが、僕のような存在の掟だから………。
でも、まあ忠告くらいなら、問題ないかな………。
「あんまり、相手を甘く見ない方が良いんじゃないかな?」
「なんでよ?そんなに私は甘チャンに見える?」
「そんなに怒らないで。もっと冷静にならないと、思わぬ不覚ってのをとるよ?」
「そんなに心配いらないんじゃないかな?」
「なんで?」
「だって、今は貴方が一緒だもの」
そう嬉しそうにいう蓮観の思惑が、僕にもようやく理解できた。
蓮観は、普通でない僕を利用するつもりで、ここまで連れて来たのだ。
………やれやれ、タフな人だ。
「僕の力を当てにしてるなら、それは間違いだよ。僕は、キミがどんな目にあっても手助けをするつもりはないから」
「私が暴力を振るわれても?」
「うん」
「私が拉致られそうになっても?」
「うん」
「じゃあ………レイプされたり、殺されたりしても、それを黙って見逃すの?」
「そうだね」
「なによ、それ!?か弱い乙女を守ってやろうって狭義心はないの!?」
「ないよ」
「サイッテー………。貴方、ホントに役立たず!」
「まあね。僕は、そんな事をするために、キミの側にいるわけじゃないから」
「なら、何の為にいるのよ?」
「………」
言えないんだよ。それだけはね。
「都合が悪くなると、すぐそうやって黙るんだから」
そう告げた蓮観が、不意に僕の顔を両手で挟むようにして掴んだ。
「………どうしたの?」
「不思議………貴方の声、はっきり聞こえてる。さっきまで、あんなに小くしか聞こえなかったのに………」
「………そう」
終りが近づいている。
結末は、蓮観の負けという事に決まったらしい。
いや、蓮観が僕を味方に出来ると思って、ここに………自分の部屋に帰ってしまった時。
勝負は、すでについていたのかも知れない。
「それは、僕の出番を意味しているんだ」
「出番?」
「蓮観?僕がなぜ、ここにいるのか………まだ知りたい?」
「ええ。でも、それを本当に教えてくれるの?」
「もう、蓮観に僕の正体を隠す意味はないからね………」
「………どういう意味よ?それ?」
「そのまんまの意味なんだけどね。
僕の名前はD。死神………Deathの名を持つ者なんだ。僕は、蓮観に死を与えに来たんだよ」
そう告げられた蓮観の顔が、恐怖と戦慄で激しく歪む。
蓮観は、どこまでも生に対して貪欲だった。
追い詰められて、僕と出会い、僕の事を味方だと思ってしまった、愚かで哀れな蓮観。
でも………僕には、貴方と過ごした数時間が、とても楽しかった。
「蓮観。せめて楽に逝かせてあげる。それが僕の仕事だから」
でも、蓮観はまだ生きようとしていた。
僕から逃げ様と、必死で玄関に向かって走っていく。
もう、君の寿命は、終っているのに………。
それから、暫くして………。
「そ、そんな………なんで、こんな事になるの?わ、私が………なんで、こんな目に………」
僕は、マンションのエレベータの中でうずくまる蓮観の横に立っていた。
蓮観のお腹からは、盛大に黒っぽい血が流れていて、エレベータの床を汚していた。
「刺されたんだね?」
「………D………なんで、ここにいるの?」
「僕と出会った以上、僕からは決して逃げられないんだ。僕は『死』という現象そのものだから」
そんな僕の声に蓮観は、苦しげに俯いた。
笛のようなヒューヒューという呼吸音が聞こえる。
これをやった犯人は、もう蓮観が助からないのを見越していたのかな?
僕の見立てでは、蓮観が死ぬまであと数分といったところだった。
「犯人は、誰?」
「なんで、そんな事を、気にするの?」
「僕は、君と出会えて楽しかった。人と話しをするのなんて、百数十年振りだったから」
「………」
もう蓮観には、喋るだけの気力は残ってなかった。
「せめて、痛みだけも消してあげる」
僕が蓮観の額に触れると、蓮観はようやく笑みを浮かべた。
「ありがとう。………凄く楽になった」
「僕に出来る精一杯のお礼だよ」
痛みさえ感じなければ、蓮観の命はもっと長くもつだろう。
「私………この仕事が好きだった。
ようやく凄い不正を暴いて、成功できるって思ったのに………。
アイツに………あの悪党に、社会的な制裁を与えてやれるって………。
被害者の人達の無念を………私が晴らすんだって………。
馬鹿よね………私。
先輩の忠告も聞かないで、勝手に突っ走って………挙句に、殺されて………。
私、アイツの不正の証拠を掴んだ時から、ずっと恐かった。
いつかこんな目に合うんじゃないかって………。
いっそ、死んでやろうかって、そう思った事もあったの。
でも、恐かった。それに悔しかったの。
私が死んだ事に、誰も気がつかないんじゃないかって………。
私が、アイツに殺された事に、誰も気がつけないんじゃないかって………。
それが凄く恐かった。凄く、悔しかった………」
僕の手に、蓮観の涙の暖かさが感じられる。そこには、彼女の無念さが何より感じられた。
「君をこんな目に合わせたのは、誰なの?」
「………狩野浩平。私を刺したヤツは知らないヤツだったけど、アイツの指示に違いないわ」
「そう。覚えておくよ。その名前」
僕が、その男の名前を覚えておくということ。
それは、何よりの恐怖の訪れとなるだろう。
そして、それは何よりの復讐となるだろう。
それを蓮観も理解してくれたのか、頬が嬉しそうに笑みを形作った。
「ねえ………寒いわ」
「もう、楽になる?」
「お願い………。でも、恐い………」
「誰だって、死ぬのは恐いよ」
「………抱きしめてくれないかな?」
「良いよ」
そして、僕は、自分の腕の中で、蓮観の命の炎を消したのだった。
僕には、奪う事しか出来ないけれど………。
僕の手は、命を奪うことしか出来ないのだけれど………。
せめて、蓮観が楽に逝ける事を、いつものように祈ろう。
そして、狩野浩平とやら。
僕は、君と出会える時を楽しみにしておくよ。
僕からは、貴方は決して逃げられない。
なぜならば、死は万民に等しく訪れる事であり、僕はDの名を持つ者だから。
<おわり>
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
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