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今夜の番組チェック

きる 東京魔人學園SS はぐれ陰陽師.
write by ちゃんちゃん☆様.
きる≪2・斬る≫    〜はぐれ陰陽師〜

 ───『彼』が『その男』を見かけたのは偶然だった。
 骨董品の取り引きが得意先であった帰り、なじみの『水』で少し涼んでいこうとたまたまその公園に立ち寄った時に、聞き覚えのある声を耳にしたのである。
 視線を巡らせれば『男』は、どうやら知り合いらしい人物相手に『じゃれて』いた。周囲の注目がその2人に集まっている事と、『男』の知己らしき長髪の人物の方には『彼』も面識がなかったため、声をかけずに通り過ぎるところだったのだ。常ならば。
 だが………『彼』はそのままとどまることになる。
 自分の気配を、極力殺すようにして。

 噴水の周囲に水蒸気の霧がたなびき。
 人々を騒然とさせる『事件』が起きたのは、その直後の事だった………。







「……………をい☆」
「何よ、しーちゃん。言いたい事があるんなら手短にね」


 十中八九、天野絵莉は何者かに命を狙われている───!?

 直感でそう結論づけた村雨祇孔ではあったが、彼女側の事情が今ひとつ理解できない。それで、どこか物知り顔の伊周に説明してくれるよう、頼んだわけだったが………。
 彼が伊周に腕を引かれ連れてこられたのは、先ほどの店から歩いて10分。そこそこ大きな構えの書店、だったりする。

「きゃ♪ アイススケートの特集本置いてあるなんて♪ ここの本屋って噂に勝る、なかなかコアな品揃えよねえ〜」
「売れ残ってるだけじゃねえのか…………?」
 今は夏だというのに、まだ置かれていたフィギュア選手の特集本を手に取る伊周。どうも、本来の目的を逸脱しているとしか思えない。
 だが、天野絵莉が公園で待ち合わせをした理由が、さっきから伊周が何度も口にしている、アイススケート選手・的場瞬とのインタビューにあったわけだから、完全に無関係とは言えないのだが。

「ほらほら、さっき絵莉ちゃんも言った通り、的場瞬がソロに転向したきっかけについて掲載されてるわよ? パートナーが凍死しちゃったんですって。スケート選手って寒いのも平気なのかなーとか思ってたのに、案外そうでもないのね」
「あのなあ………スキー選手ならそうかも知れねえけどよ、結局はアイススケートって奴は屋内スポーツじゃねえか」
「それはそうなんだけどさあ」
 まだ何か言いたそうにしている相手の言葉を遮るようにして、村雨は強く言う。

「それよりともちゃん。お前天野サンが狙われる理由に、何か心当たりがあったんじゃないか?」
「まあまあ、そんなに慌てないの♪ 折角のデートなんだからさあ♪」
「お前なあ! もし真犯人とやらが彼女を殺すのに失敗したって気づいたら、また彼女が狙われる可能性が、大いにあるんだぞ? その対策立てる為にも、ちゃんと事情を知っておかねえと………って、こら、聞いてンのか?」
「ほらほら、夏のデートスポットですってえ♪ アタシもしーちゃんと行ってみたいわあ♪」
 ───が、伊周は何やらアヤシゲな表紙の雑誌を手に取り、はしゃいでいる。
 それはいわゆる「オカルト」関連の月刊誌らしいのだが、

『彼女を誘おう!夏の怪奇スポット』

などという下世話な特集を組んでいる。
「ともちゃん………お前、オカルトは専門だろうがよ? 何でこんなもん、行ってみたいなんて言うんだ?」
 こういう記事は、半分くらいは眉唾物だということぐらい、分かっているだろうに。
「あん、言ったでしょ? 『しーちゃんと』行きたいってさ。しーちゃんとお出かけできるんならアタシ、どこだって構わないわー♪ ほらほらここなんて、お泊りしないと行けない場所だしい」
 そう言って、強引に雑誌を押し付けてくる伊周。村雨は渋々、その開かれたページに目を通したのだが。
 そこに見出した名前に、思考が停止する。

 取材・撮影 天野絵莉


 ───慌てて伊周から雑誌を奪い取り、改めて見やる。
 伊周が村雨に指し示していたのは、実はデートスポットのページではなかった。最近多発する謎の怪奇事件について、色々な角度から天野絵莉が取材を行なっているもので、他の面白半分に事件を追っているコーナーとは一線を博している。
 最新号であるらしい今月は、先日起きた、プールでの失踪事件多発について色々と書かれてあった。

 オカルト事件を追うフリージャーナリスト。
 彼女が狙われる理由は、ひょっとしてオカルト絡みなのか? 自分や伊周たちが関わるような部類の………。
 村雨が思い悩むのも、だがそこまでのほんのわずかの間だけだった。


「お客さん………立ち読みはなるべくしないでほしいんですけどねえ………」
 背後からの声に慌てて振り向けば、店員が渋い顔をして腕組みをしている。
 そして、さっきまでそばにいたはずの伊周はと言えば、いつの間にやらレジで何冊かの雑誌を会計してもらっている最中だった。
「あんのやろおおおおおっ! さっさと見捨てやがったなあああ!」
「ちょっとお客さん! あんまり雑誌傷めると、お買い上げしてもらうことにしますからね!」


 ───とりあえず村雨が、絵莉の記事が掲載されているオカルト雑誌を買い、外に出ると案の定、伊周が素知らぬ顔で待っていた。
「随分熱心に見てたじゃなあい? あたしをどこのデートスポットに連れてってくれるわけ?」
「………ま、ともちゃん一流の照れ隠しとして、今回の件は不問に付すとして、だ」
 どうせ置いていかれた事を責めたところで、のらりくらりとかわされるのがオチだ。時間が惜しい。
「今度は一体何の本、買ったんだよ?」
 1冊が御贔屓フィギュア選手・的場瞬の記事を掲載した雑誌だと言う事は見当がついているのだが、今、伊周が手にしている雑誌は、全部で2冊あるのだ。

「ああ、これ? 機能別の腕時計の特集してるもんだからさあ」
「腕時計? ………ひょっとして、天野さんが被害者に貸してたって言う、腕時計の事を調べたくてか?」
 村雨には、伊周の考えが分かりかねる。確かあの腕時計に関しては、彼女が直々に機能を説明していたはずだ。曰く、『防水加工付きの、1人くらい乗っても平気な、アウトドア傾向の腕時計』。
 疑念が露骨に顔へ現われていたのだろう。伊周は少し困ったような笑みを浮かべて、村雨に答える。
「ウリになってる機能については、あたしもちゃんと覚えてるわよ。ただね。あたししーちゃんとは違って、彼女の腕時計を見た記憶、なかったもんだから」
「見てねえはず、ねえだろうがよ? お前が、被害者を噴水から引き上げたくせに」
「そうよ。そしてその時、生きてるとは思えないくらい冷たい彼女の手首を掴んだのもね。けど………彼女の腕には時計なんてなかったのよ?」
「なにっ!?」

 ───そう。日焼け跡が残るくらいの褐色の肌には、腕時計などはめられていなかった。村雨が見かけた時にはあったはずのものが。

「これがどういう意味か、分かる? しーちゃん」
 伊周は時々、村雨を試すような言葉を投げかけてくる事がある。そんなやり取り自体は、村雨も決して嫌ってはいない。
「………被害者を殺した犯人が持ち去った、ってことか………?」
 引ったくり犯がバッグを奪う前に盗った、とは考えづらい。普通に考えれば、腕時計などと言う盗りにくいものを奪った後にその場にとどまる、などということはしないだろう。
 が、村雨の返答は必ずしも、伊周を満足させるものではなかったらしい。
「惜しいわ。50点ってところね。もちろん持ち去ったのが犯人なのは疑いないでしょうけど………何の為にそんな危険を犯すわけ?」

 ───伊周の言う通りである。犯人は今回のヤマを、引ったくりによる『溺死事故』と見せかけたかったはずだ。
 被害者の手に、絵莉が愛用していると言うブランドもののバッグを持たせたのが、その証拠である。おそらく犯人は、遠目に見てもその筋のものには分かる高級品バッグを『無造作に』持たせる事で、第3者の介入を狙ったのだろう。不心得者、と言う名のスケープゴートがバッグを奪う際に、被害者が噴水へ倒れ込むであろうことを計算に入れて。
 ───ただしこの仮定は、突き飛ばされた時には被害者は既に、意識がなかった事が前提となる………。

 ぞっとする仮定を頭から振り払い、村雨は答えた。
「そう言う………ことか。その腕時計には犯人への手がかりが残されていたってわけだな? どういう理由があったかは知らねえが………」
「そゆこと。おおざっぱなようでいて、その実『自然に』見えるようにしたがった犯人が、どうして被害者の持ち物を持ち去ったわけ? 不自然だわ。一見自殺と思しき死体の側に、致命傷を与えた武器が転がっていないぐらいに。
つまり犯人は『腕時計を必ず持ち去らねばならない事情ができてしまった』、ってことになるわ。………だから、細かい機能とか知りたかったわけなの。例えば、録音機能があって声とか、犯人を特定できそうな音声が残っちゃった、とかさあ………」
 ブツブツ呟きながら、雑誌のページをぺらぺらめくる伊周である。

「一番セオリーなのは時計がうっかり壊れてしまって、本当の犯行時刻が分かってしまう、ってパターンよね。真犯人にアリバイがなかった場合なんかがそうなるけど………」
「それは不可能じゃねえのか? 1人くらい乗っても平気、とか言ってたからな。まあそういうことなら逆に、それほどの破壊力を発揮するような奴、ってことに限定できそうだがよ」
「繊細な計画立てる奴が馬鹿力って言うの、何かそぐわないのよねえ………」
 そのうち伊周はパタン、と、雑誌を閉じてしまった。どうやら頭のアンテナに触れそうな機能付きのアウトドア指向腕時計を、見つける事が出来なかったようだ。

「うーん………こうなったら腕時計の機能って線は、除外してかかりましょ」
 伊周は本を紙袋に収めながら、考える素振りを見せる。
「へえ、ともちゃんも結構まじめに取り組んでるじゃねえか。てっきり『女は守備範囲じゃないから関わりたくないわ』ぐらい、言うと思ってたぜ?」
 村雨の揶揄は、だが伊周を陥落するまでにはいかなかったようで。
「当たり前でしょ。あたしの目的は、エリちゃんが行なうはずの的場瞬のインタビューの方だもん。言ったでしょ、彼ってガードが異様に固いって。せめて少しでも剥き身の彼に、早く雑誌でお目にかかりたくってえ♪」
「『剥き身』って………何か生々しいな、をい」
「違った、『生身』の間違いだったわ。あはは♪」
 ………くだらない話題を挟んで、伊周と村雨の会話は続く。

「犯人が恐れているのが腕時計の機能じゃねえと仮定すると………次に可能性があるのは何だ?」
「これまたセオリーなら指紋の付着、とかでしょうけど………」
 そう一旦は口にした伊周だったが、急に口をつぐんだ。
「………待ちなさいよ? あたしの使役する三十六獣神みたいに、必ずしも人間に襲わせる事もないんじゃないの? おサルさんとか」
 どうやら、同じ指紋を持つ生き物として、そう言う連想をしたらしい。
「確かに、殺すだけなら必ずしも人間である必然性はねえが………だったらなおさら、時計を持ち去ることはしねえんじゃねえか?」
「それがそうでもないのよねえ………殺す、のはともかくも、運んだのが人間じゃなかったら? 例えば鱗とか、粘液とか持った生物とかに命令したとするわ。洋服についたものは、噴水の水で流されちゃうだろうけど、腕時計なんかだったらどうかしら? ネジとかベルトの隙間とかに、残っちゃう可能性だってあるじゃない。………それを恐れて、被害者の死体を運ぶのを命令した何者かが、先に腕時計を取ってしまった、ってのはどう?」
 ヤケに具体的な『運び屋』の描写に、村雨は眉をひそめる。だが伊周は自分の推理に、かなりの自信があるようで。
「だって、エリちゃんがこの雑誌で書いてた記事、モロに当てはまっちゃうじゃなあい。プールでの連続失踪事件で何度も目撃されたって言う、半魚人みたいな奴がいるって。被害者が突き飛ばされたのも噴水。水繋がりでしょ、だから、水の中に引き込んじゃって先に溺れさせちゃってたとかさあ。あるいは半魚人たちしか知らない秘密の通路とかが、あったりするかもしれないじゃない」

 確かに、伊周がわざわざ広げてみせている雑誌のページには、先ほど村雨も見た絵莉の記事があった。ご丁寧にもイラストレータの手による『想像図』とやらも、いかにも半魚人と呼ぶにふさわしい、鱗が粘液で光っている姿であったし。
 だが…………。
「面白い推理だけどな、ともちゃん、それは完全に外れだぜ?」
 ───脱力感を伴いながら、村雨はやっとそう口にした。
「どうしてよお?」
「あくまでもそれは、噴水の縁に運ばれるまでの間に被害者が死んでた場合、だろうがよ? あいにく俺は見てるんだぜ。被害者が数分前までは噴水の側に立っていて、しかも生きているところを」
「……………あら?」
「あら、じゃあねえだろうが! 俺はちゃんと、天野さんにも言ってたんだぜ。『彼女が、電話の相手と話し込んでいたのも見た』ってよ。………何聞いてたんだよ? 注意力散漫もいいとこじゃねえか!」

 そうでなくても、暑さでバテてしまいそうなのだ。村雨は伊周の大ボケ推理でやる気をなくさないよう、あえて大声で彼に怒鳴る。
「だあってえ、エリちゃんとしーちゃんが仲良くしてるところなんて、聞いていたくも見ていたくもなかったからあ。見ざる・聞かざるしてたのよお」
 ───どうやら彼の特殊? な耳は、村雨と絵莉とで交わしていた会話を、単なる雑音として認識していたらしい。まあそれならあの時、『どしたのよ? エリちゃん。急に黙り込んじゃって』などと言葉をはさむことぐらいは、可能だったろうが。

「気が抜けた………☆」
「まあまあしーちゃん、そう拗ねないの。誰にでも失敗くらい、あるってことでさ♪」
「自分で言うなよ」
「あははは………と、とにかく、気分を変えない? 喉かわいたでしょ? 同伴喫茶ででもお茶、おごっちゃうわ」
「……………どさくさ紛れに何、言ってやがんだよ………☆ それにああいう所の飲み物なんざ、高かろう不味かろうがそれこそセオリーじゃねえか。缶コーヒーの方が、よほどいい」
 すると伊周は懐を探りながら、困った顔になる。
「だってえ、今あたし細かいお金持ってないのよお? 1万円札じゃ、自動販売機も使えないでしょ?」
 だから同伴喫茶に行こう、と言う誘いを、当然のことながら断る村雨だった。
「よこせ。少し歩いたところに、コンビニがあったはずだ。気晴らしも兼ねて、そこまで行って来る」
 脱力症状の根元から少しでも離れたい気分は、いつもなら面倒に感じることでもやってやろう、と言う気分にもさせるらしい。村雨はさっさと伊周から1万円札を受け取るが否や、足早に歩き去る。



==========================



「あん、もう。何もそこまで嫌がる事、ないじゃなあい。しーちゃんてばあ」
 伊周の、傍目からはなよなよと見える仕草は、だが、村雨祇孔が道の角を曲がり、完全に視界から消え去った時点で、がらりと様相を変えていた。
「!」
 唐突に、今いた場所から全力疾走して、約1分。人気のない場所まで来た伊周は、何の前触れもなく急停止する。

「………やっぱりね。わざわざあたしの後をついてきてくれて、ありがと」
 周囲を油断なく伺いながら、そう告げる伊周の表情からは、いつものナンパなイメージは吹き飛んでいる。
「どこの誰だか知らないけど、今度はずっとあたしたちのこと、尾行してたんでしょ? 断っておくけど、焼肉屋からじゃあないわ。事件のあった公園から、よねえ?」
 さっきはサイフを出した懐から、伊周が取り出すのは呪符。
「あたしとしーちゃんのどっちが目当てか分からなかったから、泳がせておいたんだけど………一体誰? 予約なしのデートなんて、しーちゃん以外じゃあ絶対、お断りなんだからね。もっとも、ケンカなら問答無用で買ってあげるわよ? 何なら………!」

 ドゥッ!!

 口の中で素早く唱えた術が、見事前方で炸裂する!
「あたしから売ってあげても、よくってよお!!」
 ヒットアンドダッシュ! 言うが早いか駆け寄り、術を発動しようとした伊周の目の前に、ギラリ、と光るものがあった。
「ととっ!」
 とっさによけた胸の先を、危うく刀がかすめて行く。
 得物は日本刀、だ。それも一般的なものとは違う、忍び刀と呼ばれる代物。
 かわした、と思うまもなく、刀は再び伊周の心臓めがけて突き出される。

「『如影斬』ッ! 破ーッ!!」
「『虎』っ!」

 ガキッ!

 襲撃者は目を剥いた。必殺の確信を持って繰り出した刀が、まさかとっさに召喚された『虎』の牙で防がれるとは、思いもよらなかったのだろう。
 ───いや。逆に、噛んだ刀を離そうとしない『虎』によって武器を無力化され、動けずにいる彼めがけて、今度は伊周の必殺呪文が今、炸裂せんとしている!
「覚悟なさいっ! 『聖衆招来・急急如律令』っ!」

 バシュッ!

 が、襲撃者は敏速だった。
 使い物にならなくなったと見るや、伊周が術を発動させるまで引き付けておき、その瞬間、素早く武器を手放しかわしてしまったのだ。そして。
「『飛水八相』ッ! 斬ッ!!」

 ザゥッ………!

 水が、まるで生きているかのように伊周めがけて斬りつけてくる。
「きゃあっ!」
 よけきれず、水はとっさに顔を庇った伊周の腕を削いだ。
「あんた………《水》の術者ねっ!?」
 致命傷ではない。手当てはこの際後回しで、伊周は襲撃者の《術》を判別して見せる。術者にとって、己の《力》を見極められる事ほど厄介な事はないからだ。
 しかし、今回の襲撃者は取り乱しはしない。無言のまま、伊周との間合いを詰めようとしている。
 伊周は月明かりと街灯を頼りに、相手の姿を慎重に観察した。
 自分よりは幾分か小柄で華奢で背も低く、どうやら年齢は同じくらい。高校生なのか制服らしきブレザーを着込み、一見女性に見えない事もないサラサラの髪を肩の辺で切り揃えているが、その目に宿る殺気と覚悟は明らかに男性のものだった。

<マズいわ………単なる術者ならあたしの『呪詛返し』でよけ続ける、って戦法がとれるんだけど………>
 相手はどうやら、そこそこ剣術もこなすらしい。しかも忍び刀をいくつか懐に隠し持っているらしく、今も投げ捨てた刀の代わりに新しいものを構えている。
<術者が手練れの剣術者に勝つには、先手必勝しかないって言うのにっ! 接近戦なんかに持ち込まれたら、明らかにあたしが不利だわっ>
 ただ、伊周より背の低い彼は、腕力的には強くないようだ。その辺につけこめれば勝機はある。例えば力の強い獣神を召喚させるとか………。
 が、襲撃者も自分の欠点はすでに掌握済みのようで、決して仕掛ける隙を見せない。どころか………!
『分身・地天斬ッ!!』

 ゴウッ………!

 てっきり水で斬り付けられると踏んでいた伊周は、目の前で発動した《炎》に目を剥いた。
「なっ…………火ですってえ!?」

 ボウッ………。

 とっさによけられたものの、自慢の髪がわずかにこげた匂いに顔を顰める。
 まずいことに、今襲撃者の持つ忍び刀は《火》属性を持つ武器のようだ。つまり彼は反則技にも、《水》と《火》の両方の属性の《技》を使える事になる。
<冗談じゃないわよお! アタシの召喚する獣神ちゃんたちは《火》には滅法弱いって言うのにっ!>
 符が紙ならではの弱点を知る伊周は、どうやっても間合いを取ろうと試みた。
 ところが………。
「逃がさん! 『飛水影縫』ッ!!」

 カカッ………!

 襲撃者の方が先手を打った。
 懐から取り出したのは手裏剣。数個のそれらを素早く、伊周の足元へと投げつけて来る。
「しまっ………!」
 相手の目論見に気づくも、もう遅い。
 伊周は『影』を縫い付けられて、完全に無防備になってしまった。

 ザンッ………!!

 鮮血が───散った。
「くぅ………っ………!」
 ───視界が一瞬赤く染まり、ついでかすみ始める。
 ズキンズキンと、心臓の音が鼓膜を圧迫するかのように聞こえる。
 鼻を突くのは鉄錆の匂い。そして脳天から響く激痛に、目眩すら覚えて。
 脚と腕に深手を負った伊周はだが、流れる血すら庇えないでいる。相手の《術》は彼を、麻痺状態にしていたのだ。
「あ………あんた………本物の『忍び』なのね………? まさか『影縫い』なんて使えるなんてっ………」
 影縫い。或いは『シャドウ・スナップ』などと呼ばれるその《術》は、対象者の影を飛び道具で『縫い止める』もの。たいていはオーバーアクションで相手の気を逸らせ、その隙に足元の影を縫い付け、身動きを取れなくする戦法が取られる。
 この《術》を解除するには2通りの方法しかない。だが今の伊周には、どちらも使う事が出来なかった。

「麻痺状態でそこまで話せるとは………やはり油断のならない奴だな」
 伊周の問いには一切答えず、若き忍びは1歩1歩静かにそばへ近寄って来る。
「殺す前に、1つ聞いておきたい事がある。………まあ、貴様が簡単に吐くようには思えないが」
「スリーサイズなら………お断りよん」
 伊周の冗談にも、彼は眉をひそめただけだった。そのまま尋問は続く。
「………一体誰に命じられた? 誰の依頼で、天野さんを殺そうとした?」

<なっ………!?>

 思いも寄らない質問に、伊周は愕然となった。
<まさかこいつ………アタシがエリちゃんを狙ったって思ってる? それに、こんな言葉が出るってことは………彼女を殺そうとした人間は、こいつじゃないってこと………!?>
 あまりの見当違いに言葉を失った伊周をどう思ったのか、相手はもう1度詰問すべく口を開こうとした。
 まさにその時である。

「「なっ………!?」」
 いきなり周囲から、光が消えた。『影縫』が出来る程度には明るかった周囲が、一面闇に包まれたのだ。
 空を仰ぐも、月すら見えない。だが雲に覆い隠されたのではない。『影』を与えるべくそばに立っていた街灯も、そして辺りの風景すらも、彼らには見えなくなっていたから。
 何者かが『闇』属性の術を使い、『影縫』を無効化させようとした───そう察した彼らは思わず身構えた。

 ヒュン………。

 闇の中どこからともなく、襲撃者めがけて何かが飛んで来る。
 反射神経で思わずその物体を空中でぶった切った彼はだが、次の瞬間自分の判断を後悔せずにはいられない。

 プッシューーッ!

「なっ!」
「いっ………痛いイタイいたいーーっ!!」
 飛んで来たのはジュースの缶だったのだ。しかも炭酸飲料がたっぷり詰まった。
 必然的に炭酸飲料を頭から浴びてしまった襲撃者と、その煽りで染みる液体を傷口にたっぷりとぶっ掛けられる格好となった伊周の前に、第3の男が現われたのはその後だった。
「水も滴る良い男だな、と言いてえところだが………一体どういうことだよ? 若旦那。里から勅命でも下ったのか?」
 ───村雨祇孔である。



============================



 村雨は完全に気分を害していた。
 暑さのせいもあるだろう。だがそれ以上に、目の前に呆然として突っ立っている2人の男の所業が、彼に桟敷つんぼ的な気分を味合わせていたのだ。
 村雨の放った『闇』属性の《術》・『四光夢幻殺』は効力を失い、周囲は時間通りの『明るさ』を取り戻しつつある。

「ともちゃんもともちゃんだ………」
 伊周の足元に跪くと、影を縫い付けていた手裏剣を無造作に引っこ抜く。
 と当時に束縛を解かれ、その場に倒れ込みかけた彼をとっさに受け止めながらも、『愚痴』をやめようとはしない。
「お前………さっきから注意力散漫だと思ってたら、ずっと若旦那の気配を探ってたんだな? 公園からか? 黙ってるだけならともかくも、おちゃらけて俺を撒こうなんざ、相変わらずイイ性格してるじゃねえか? ええ?」
「きゃーっ♪ しーちゃんてば、怒った顔もセクシーよん♪」
「と・ぼ・け・る・な」
 それでも地面に座らせた時、突き飛ばさなかったのは怪我人への配慮からか。

 2人の『じゃれ合い』をただボーゼンと眺めていた他称・『若旦那』だったが、すぐに我に返ると食って掛かる。村雨に対して。
「………どういうつもりなんだ、村雨。その男を庇いだてする気か? 秋月さんたちとも敵対している阿師谷の息子だと言うのに………」
 彼と伊周は一面識もなかったはずだが、村雨とのやり取りや、世間一般に流布する噂と照らし合わせて、伊周の正体に気付いたのだろう。………噂、と言うのは無論、村雨が男色家のはぐれ陰陽師とデキたらしい、と言う話である。迷惑極まりないが。
「別に庇ってるつもりはねえよ。どーもお前らの間で勘違いがあるみてえだが………ともちゃんは無実だぜ? 今回に限っては、な」
「………お前『ら』?」
「だろ? ともちゃん。お前もこの若旦那が、天野さんを狙ってたって思ってたんじゃねえのか? だからずっと、貼り付けたままにしてたんだろ? 様子見の為に」
「なっ………!」
「さすがはしーちゃん、察しが良くて助かるわ」

 腕の怪我を『月見酒』で治してもらいながら、今度は伊周も村雨の意見を茶化さない。
「だけど、しーちゃんがこのいけ好かない男と顔見知りだったなんて、知らなかったわ。誰なの?」
「御門絡みで知り合ったんだが………お前、本気で知らなかったのか? こいつ、『飛水家』だぞ?」
 『飛水家』。その名前を聞くや否や、伊周の顔に嫌悪感が浮かぶ。
「………へえ、徳川の犬、ねえ。どうりで『水』の使い方に長けてると思ったわ。ひょっとしてお久しぶりの『玄武』ってこと?」
「貴様へ答える責務はない」
 返す『若旦那』の表情も正直なところ、友好的とはとても見えない。

 ───しかしそれも無理からぬ話だ。伊周の先祖は1000年以上『御上』にたてついているような一族で、しかも江戸時代に一度、徳川によって滅ぼされかけたことがある。
 一方の飛水家はと言うと徳川のため、ひいては江戸の人々のため、幕府にたてつく人間たちを『滅殺』して来た。そんな彼らにしてみれば、阿師谷一族が滅亡しかかったのは自業自得、としか思っていないであろう。
 故に。『若旦那』が伊周への疑いを、そう簡単に拭い去るはずもないのは当然の事だった。

「村雨………君がどんな根拠でその男を庇うのかは、この際聞かない。だが、僕が君たちをあの噴水のある公園で見かけた時、確かに邪悪な感じの『力』を感じたんだ。そして現に、天野さんの友達が倒れた。………それは翻しようのない事実だよ?」
「あ〜らそれって、『疑わしきは罰せよ』ってこと? まあ一番手っ取り早くって安直な方法よねえ。………だけど何だかそれって、真犯人を捕まえられなかった無能者のせめてもの自己満足、って風にも聞こえてよ。どこかで目論見通り行ったってほくそえんでる、アタシ以上の悪党にイイ顔させてなきゃいいわね。ガチガチ頭のエリートさん」
「だああああっ! 御門がいねえのに、毒舌全開にするんじゃねえって、ともちゃんはよ!」
 どうやらこの中で、一番状況が掴めているのは自分だけらしい。村雨は慌てて間に割って入る。
 そして、まだ何かを言い募ろうとした如月を睨むようにして、こう言った。

「………つまり若旦那、お前は俺のカンも疑うってことか? あんまり甘く見ねえで欲しいがな。あの公園で待ち合わせをすることにしたのは俺の提案だし、俺と落ち合ってから彼女が噴水に倒れるまでの間ともちゃんは、ずっと俺とどつき漫才してたんだ。あんなことしてた人間が、同時進行で呪詛までやってのけるってのは不可能だと思うぜ」
「きゃ♪ しーちゃん、アタシの事弁護してくれるなんて♪ もっと言ってやって言ってやって♪」
「………ともちゃんもだ。この際、先祖の恨みがどうの、なんざ忘れた方がいいぜ」
 もちろん、後ろで調子に乗っている伊周に釘をさすのも、忘れない。
「お前らひょっとして気付いてねえのか? それともワザと考えねえようにしてんのか? 『その道』のプロが2人揃ってこうやって角突き合わせてるうちに、まんまと真犯人に逃げられるって可能性によ?」
「「ゔっ☆」」
 伊周と『若旦那』は、ほぼ同時に押し黙ってしまったのだった。

「た、確かに、どこの馬の骨ともつかない奴に出しぬかれたまんま、って言うのも不愉快よねえ」
 そう呟いて伊周は笑顔を見せるが、その目は全然笑っていない。
「………目の前の小さな邪に気を捕らわれて、阻止できるはずの陰謀を見逃すのは恥ずべきことだ」
 『若旦那』が、今まで構えていた忍び刀を懐にしまう手も、知らず屈辱で震えている。
「ってことだ。この際今だけでも、手ぇ組んだ方が得策だよな?」
 唯一村雨だけが飄々と構えている。その、どこか他人事のような言い草に、伊周も『若旦那』も1度はギッ! と睨んだが、今は状況が状況だ。
「情報交換、してもいいよな?」
「「………………」」
 お互い、腹に一物も二物も孕みながらも、村雨の提案を苦々しく受け入れることにした。


 とは言っても、そんなに有益な『情報』を得られたわけではない。
 まずは『若旦那』が天野絵莉を知っている理由だが、以前やはりオカルト絡みの事件を彼女が追っていた時、偶然知り合ったのだと言う。一般人がこの事件に関わると危ないからと、『若旦那』は釘を刺していたらしい。
 ちなみに、正体を隠していたにもかかわらず、彼女には彼が『飛水家』の人間だと言うことが知れてしまった、と言う話を聞いた時、村雨「だろうな」、と思った。もしさっき、伊周がフルネームを名乗っていたら、やはり同じことになったであろうから。
 そして、絵莉がその時追っていた連続失踪事件の方だが、『若旦那』の仲間の手によりとっくに解決済みだ、と聞かされ、少なくとも伊周を落胆させた。てっきりそちらの関係者が、周囲を嗅ぎ回っていた彼女を口封じのために殺そうとした、と言う説を彼は立てていたのだろう。

「………この際、エリちゃんが狙われた理由、って言うの、オカルト事件絡みって考えない方がイイかもしれないわね」
 おさらいのように自分たちの情報もあらかた披露してから、伊周はそんなことを言い出す。村雨には、彼の言いたいことがピンと来た。
「色恋沙汰、って言うのは却下だぞ?」
「どうしてよお。世の中の血なまぐさい事件の半数は、情がらみじゃないのさあ。現実は受け入れなきゃ」
「───しかしどうやって犯人が、天野さんのスケジュールを知ったんだろうな?」
 『若旦那』は、伊周とは違う観点から推理しようとしている。
「別に隠してた風には見えなかったぜ? 俺たちには口止めしてたけどよ、インタビューの内容だってスクープってわけでもなさそうだし。大体代理人を立てられるくらいだ、本人は強いて隠そうはしなかったと思うがな」
「つまり………知ろうと思えば、誰でもスケジュールを知ることが出来た、と言う事か………」

 ただこの場合、容疑者候補からは絵莉をよく知る人間は外される。顔を知っていると言うのに、代理人の友人を間違って殺そうとした、と言う事はありえないからだ。遠くから狙った、と言う事でもない限り。そして事件直後、村雨が見かけた腕時計がなくなっている点から、どうしても至近距離から狙ったとしか、考えられなくなる。
「………なるほどね。以前から顔見知りだった若旦那が彼女を狙った可能性は低いし、ついさっき知り合ったばかりのともちゃんが疑われても、無理ねえ状況だってことか」
 苦笑いを浮かべて『若旦那』の推理の根拠に頷く横で、
「うーん、じゃあ例えば、エリちゃんにストーカー的に恋焦がれてた男、っていうのも除外されちゃうわけね?」
伊周はつまらなそうな顔で、自説の放棄を宣言する。
「ああ。そうなるとやはり、彼女の担当した記事を読んだ読者、と言う可能性が格段に高くなってしまう。プロの仕業とは、正直言って考えられないな。顔を確認しないで暗殺なんて、しないだろう」
「だあったら、アタシは真っ先に除外してほしかったわ。仮にもそのスジじゃあ名の知れた阿師谷伊周が、そんなヘマするとでも思ってるの?」
「……………」
 伊周の非難に、『若旦那』は苦虫を噛み潰したような顔になった。頭に血の昇ってしまった自分が冷静さを欠いていたことを、やっと自覚したらしい。

「まあまあ、大目に見てやれよともちゃん」
 完全にフォロー役に回る羽目になった村雨は、そう言う言い方で2人の間に割って入る。
「こいつどーも、1人で何でもこなしちまうクセがあるから、考え方が一辺倒になっちまうらしいんだよ。それに………以前にもあったろ? 俺とともちゃんが2人して色々と意見を交換し合って初めて、分かった事もあったことが。それと同じだと思うぜ。ともちゃんだって色恋沙汰って見当違いの推理してたんだから、あんまりキツいこと言うなって。な?」
「しーちゃん………ヤケにそいつの肩、持つじゃなあい? ………妬いちゃおうかしら」
 と言いつつも、伊周も多人数でのディスカッションの長所を認めざるを得なかったようである。
「………じゃ、どうせだからもう1人、巻き込んじゃいましょ」
「もう1人? 誰だよ?」
「もちろん、エリちゃん本人に決まってるじゃなあい」

 ───伊周の提案は『若旦那』は無論、村雨も目を剥くとんでもないものだった。
「馬鹿な! 彼女を巻き込むってことは、今回の事件の真相を知らせると言うことだと分かっていて、言っているのか!?」
「当然でしょ。彼女から心当たりの情報、引き出したいんだからさ」
「僕は反対だ………」
「………ともちゃん、いくら何でもそれは乱暴しやすぎねえか? 今彼女が真相を知ったら、ショックどころの騒ぎじゃなくなるぜ」
 村雨も遠まわしに反論するが、それは必ずしも絵莉の心ばかりを重んじているわけではない。
 何だかんだ言いながら伊周は絵莉に、彼女の友人が人違いで襲われたことは隠していたのだ。村雨の足を踏んづけまで、して。なのにどうして今ごろ、それをぶち壊そうとするのか………。
 だが、現代に生きる陰陽師はトコトン現実主義であった。

「分かってないのね? 単なる一読者が、そう簡単に記者のスケジュールなんて調べられるはず、ないでしょ。………つまり真犯人は、彼女の身近にいるってことじゃない」
「「あ!」」
「それなら極めて自然に怪しまれる事なく、彼女の居場所を確認できるわけだし。フリーライターとはいえ、自分の記事を取り上げた雑誌社ぐらいにはよく顔を出すものだとしたら………例えばそこで臨時に雇われたアルバイトとか、エリちゃん同様よく記事を持ちこむ新人のフリーライターとかなら、彼女の顔を知らないまでもスケジュールくらいなら、調べられると思わない?」
「あるいは………彼女の取材した人間の関係者とかなら………」
「鋭いわね。その可能性もありうるわ。だけど結局、あたしたちだけの力で出来るのは、そこまでの推理ぐらいなものよ。情報を提供してもらうなり、囮か何かで犯人をおびき寄せるなりするにせよ、具体的に犯人を追うとなったら、どうしてもエリちゃんの協力は不可欠だってわけ。………ま、別に犯人を野放しにしておきたい、って言うなら、別に必要もないけど」

 村雨は『若旦那』と顔を見合わせた。
 自分たち3人は、少なくとも現状では同じだけの判断材料を与えられていたはずだ。なのに伊周だけが、そこまでの結論に達し得たと言うのは………。
<ったく、たまんねえんだよな、ともちゃんのこう言う『鋭さ』はよ。コレがあるから、こいつとの付き合いをやめられねえんだよな………>
 伊周に言えばつけあがるだけだし、『若旦那』に聞こえたが最後、めいっぱい呆れかえられるのがオチなので、ここは黙っておくが。
 一方、村雨の心の呟きを知らない『若旦那』は、苦渋の表情で声を絞り出す。
「確かに………ここは背に腹はかえられないだろうな。それに、きっと彼女がこの事実を知ったら、これ以上の犠牲は出しなくないと言うに決まっている。やはり、彼女に協力を仰ぐべきだろう」
 彼らの取るべき次なる対処法は、こうして決まったのだった。

「さって、そうと決まったら、善は急げだわ。早速エリちゃんに連絡とらないと。『飛水流の末裔』さん、あたしたちよりアンタの方が彼女とは親しいみたいだから、そこのところはよろしく♪」
 そう言って、伊周はうーんと伸びをしたかと思うと、どこへともなく歩き出そうとする。勝手にイヤな役目を押し付けられた『若旦那』は、非難のまなざしを容赦なく浴びせた。
「それで貴様はどこへ行く気なんだ?」
 協力者とは言え、相変わらず彼の伊周に対する態度は厳しい。『貴様』呼ばわりする友人に、村雨は眉をひそめる。
 そして伊周はと言えば、相手への心象を良くしようとか、そう言う気使いとは無縁の男だった。
「その辺の喫茶店で、ちょっとお茶してくるだけよ。折角のジュース、アンタのおかげで台無しにされちゃったし。30分ほどしたら戻るから、お構いなく〜♪」
 そうおチャラけて歩き去ろうとした伊周だったが………。

「お茶、ねえ………」
 いつの間にか彼の背後に、村雨が立っていた。そしていきなり、相手の脇辺りを乱暴に引っつかむ。
 途端───。
「いっ………つうっ!!」
 苦悶の表情を浮かべ、伊周がその場にうずくまってしまうのを、やれやれ、と言った雰囲気で見守る村雨。
「やっぱりな………さっきからどうも脇腹を庇うような仕草ばっかするから………。若旦那に斬り付けられた時の傷、まだあったんだろう? そこらの薬局で、痛み止めでも買ってくるつもりだったのか? 治してやっから妙な遠慮、すんなって」
「しーちゃああんん、気持ちはありがたいんだけどお、手段を選ばないその性格、なんとかならないの〜?」
 今のがよほど痛かったのだろう。伊周が疵を庇いながら村雨を見る目は、少し涙ぐんでいた。
「ともちゃんにだけは、言われたくねえセリフだよなー。………どれ?」
 傷口は運悪く、服を脱がないと十分に治療できない箇所のようだ。それで村雨はいきなり、伊周の洋服を脱がせにかかったのだが。
 ───ここで余計なことを言ってしまうのが阿師谷伊周なのだ、ということをしみじみ痛感させられる。
「やだ、しーちゃん、い、いくら夜だからってこんな屋外で、それも人が見てる前で? だ、大胆過ぎるわっ♪ でもでも、あたししーちゃん相手ならどんなことされても平気よ♪ ど、どうせだからノーコーなのを一発、お願いするわあ♪」



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 牡丹に蝶。
 萩に猪。
 紅葉に鹿。
 ───即座に集まった『役』を、村雨は問答無用で伊周の顔面に押し付けた。

「ぎゃあああああっ! 一発って言ってもその一発じゃないわああああっ!」
「遠慮するなよ」
「ほんのり殺気込めて言わないで〜〜!! こ、これって『猪鹿蝶・紫雷』じゃなあいいい!!」
「……………☆」
<黙らせたくなる気持ちは良く分かるが……………>
 『若旦那』は2人の『どつき漫才(村雨命名)』を、呆気に取られて眺めるしかない。
「くだらねえこと言ってねえで、とっとと脱ぎな。今度そういうネタふりしようモンなら、タダじゃおかねえぞ」
「しーちゃんの冷血漢〜。ちょっと言ってみたかっただけじゃあなあい〜」
 ブツブツ言いながら伊周は、あっさりと『若旦那』の眼の届く場所で洋服を脱いでしまった。
「……………っ!?」
 思わず息を呑む。
 ───阿師谷伊周の胸から下は、惨たらしい傷だらけの身体だったのだ。

 『若旦那』の身体にも、いくつかの傷が残っている。多くは戦傷で、修行時代の自分の未熟さから来る怪我もいくつかある。ほとんどが刀傷だ。
 だが、その彼をしても驚愕させられた伊周の傷は、異様と言って良かった。
 刀傷もいくつかある。火傷のような引き攣れた跡も。腕にはご丁寧に銃創まで。だが縦横無尽に肌を走るのは、大きな獣の爪跡。そしてそれ以上に目を背けたくなるのは、ところどころ変色し、崩れたようになっている皮膚だった。
 一旦溶けかけたものが、中途半端に固まってしまったような印象を受ける。その醜悪な傷口を、村雨は見慣れているのか全く眉もひそめず、治療に専念しているのもまた、異様と言えるだろう。

「………あら、『飛水流』のお坊ちゃん、こういう体を見るのは初めて?」
 『若旦那』の視線に気付いたのだろう。治療を受けながら伊周はこちらを見たが、その表情はどこか、蔑みに似たものだった。
「それとも………ひょっとしてあんた、悪党は最初から天才で、生まれながらに人殺しの術を簡単に身につけてる、って信じてるクチ?」
 言葉では問いかけの形をとっているものの、その口調は明らかに『若旦那』を挑発しているもの。
「とんだ『お坊ちゃん』よねえ………。あんただってさっきの剣術、一朝一夕に身についたものじゃ、ないでしょうに。………ああ、正義の味方と悪党を一緒にしてくれるなって、そう言いたいわけ?」
「……………」
「どう違うって言うのかしらねえ、しーちゃん。おんなじ人間だって言うのにさあ」
「………若旦那苛めるのは、そのくらいでやめとけよ、ともちゃん」

 何も言い返せずに顔を強張らせる『若旦那』を見かねてか、村雨が声を挟んで来る。
 意外にも、かなり軽い話し方で。笑みさえ浮かべて。
「『敵』に対してンなこと考えてたら、お役目果たせねえじゃねえかよ? 忍びは私情は禁物、ってのを徹底してただろうし。お前のパパだって、似たような事言ってんじゃねえのか?」
「………さあ、ね………」
 何故か伊周の言葉の歯切れが悪い。その隙に村雨は、ほっと息をつく『若旦那』に声をかけた。
「それより若旦那、ともちゃんの言う通り、天野さんに連絡取った方が良いんじゃねえのか? ぼーーと待ってるのも、どうかと思うぜ?」
「あ、ああ………」
 一応はそう、同意の返事をした『若旦那』はだが、すぐに行動を起こそうとはしない。居心地が悪そうに、その場に立ち尽くしたままだ。

「………何だよ、ともちゃんのことなら、心配いらねえって」
「そ、そういうことを気にしているわけでは、ないんだが………」
「じゃ、早く連絡取れよ。時間惜しいだろうが」
「………………☆」
「をい、お前まさか、相変わらず携帯電話持ってなかったのか………?」

 ぎくっ☆

 ───『若旦那』の肩が小さく震えたのを、当然他の2人は見逃さない。
「お前なあ………一応は客商売やってるくせに、何で携帯くらい持ち歩かねえんだよ? 不便じゃねえのか?」
「…………………」
「って言っても、ともちゃんも確か持ってなかった、か」
「やあねえ、あたしは持たない主義なの。別に機械オンチとか、文明アレルギーとかじゃあないわよ?」
 さすがは毒舌家と言うか。伊周は『若旦那』の可愛らしい?弱点を、あっさり看破してしまっていた。
「仕方ねえなあ………ほら、これ使えよ。ほいほい、と………。ちゃんと通信可能にしといたぜ」
「…………………………………………………………済まない」
 しばし無表情ながら葛藤した後、うなだれて村雨から携帯電話を受け取る『若旦那』であった。
 そして早速、記憶通りの番号で絵莉へと電話をかけようとしたのだが………。

「………あ、ちょっと待った」
 いきなり村雨に制止され、さすがにムッとした顔つきになる。
「今度は何だい?」
 これ以上からかわれてたまるか、と言わんばかりに。
「イヤ、お前が彼女に聞いてる電話番号って、ひょっとして携帯のか?」
「ああそうだが………」
「そりゃ止めとけ。警察に直通しちまうぞ。確か事件の後、警察に没収されちまったんだ。他の持ち物と一緒に」
「………どうして天野さんの電話を、被害者が持ってるんだ?」
「話せば色々とややこしい事情があるんだよ。だが………これじゃあ、連絡のしようもねえ、ってことか………」
 意外なところで横槍を入れられてしまった形になった。村雨はガリガリと、困ったように頭をかきむしり、『若旦那』は腕組みをして考え込む。
 が。

「連絡のしようなら、あるわよん♪」
 『月見酒』での治療を終え、脱いでいた洋服に袖を通す伊周が、そんなことを言い出した。
「………何?」
「やあねえしーちゃん、もう忘れちゃったの? あたしエリちゃんに、的場瞬の生声、聞かせてもらったじゃなあい。公衆電話から」
「それは、確かに………けど………って、ああ!?」
「そ。エリちゃんは自宅に自分で電話をかけたのよ? あたしそばで、ナンバーしっかり拝ませてもらいましたからん♪」
 してやったり、の感心の笑みを発揮する伊周。
「的場瞬って、確か天野さんが今回合う予定だった、インタビューの相手か? しかし、生声って一体………」
「まあそれも、話せば長いことながら………とにかくその的場が、待ち合わせには行けないって連絡を、自宅の方の電話に入れてたんだよ」
「天野さんの自宅の電話に、か?」
「ああ。何でもその電話、留守電の内容を暗証番号で外から確認できるタイプなんで、ともちゃんがそのメッセージを好意で聞かせてもらったって、ただそれだけのことなんだけどな………」
 そこまで説明してから、村雨は伊周の方を白い目で見やる。

「───しかし、ちゃっかりしてやがんな………☆ また的場瞬の生声、こっそり聞かせてもらおうなんざ、思ってるんじゃねえのか? メッセージを消されたらそれでおしまいだし、大体プライベートの侵害ってヤツにならねえのか、そう言うのは」
「ふーんだ。確かに暗証番号は教えてくれなかったけど、電話番号は別に隠そうとしなかったんだもん、エリちゃんは。だったら別に、覚えててもルール違反にはならないと思うわ」
 堂々と胸を張っていうような事か………?
 村雨の心の呟きが聞こえたようで、『若旦那』は何となく慰めと言うか、フォローの言葉をかけたくなった。
「………まあ、彼は女性には興味がないんだろう? 天野さんもそういう点で警戒を解いていたせいで、特に隠さなかったんじゃないか? 悪戯電話なんかをかけるタイプでも、なさそうだし」
「それはそうなんだがよ………」
 頭痛え………と呟く友人の心中を察していた『若旦那』はだが、そこでハッ! と閃くものを覚えたのである。

「ちょ、ちょっと待ちたまえ。村雨、さっきからの話で判断すると、今日会う予定だった的場瞬は天野さんの携帯の番号も、自宅の電話番号も両方知っていた、ってことなのか?」
「ん? ………ああ、そう言うことになるか。そう言えば天野さんも言ってたな。万が一に備えて自宅の電話番号も教えてあった、ってよ」
「彼女が、そんなことを言っていたのか………?」
 ───自分は今、真っ青な顔をしているだろう。『若旦那』は村雨の、怪訝そうな視線を感じながら、そんなことを頭の隅で考えていた。
「………何よ? それがどうかしたって言うの?」
「よく考えてみたまえ。的場瞬と天野さんは、そんなに面識はなかったんじゃないか? 待ち合わせにわざわざ、青い帽子をかぶる羽目になるくらい。なのに自宅の電話番号を教えるなんて、彼女らしからぬ失態じゃないのか?」
「電話番号くらい、別にどうってことないだろうが」
「それは君のような男の場合だけだよ、村雨。常日頃、携帯電話を持ち歩いている女性が普通、そう簡単に自宅の電話番号を男に教えるか? 下手をすれば、悪戯電話の餌食にされるかもしれないのに」

 他の女性ならいざ知らず、天野絵莉は曲がりなりにもジャーナリストである。世の悪戯電話のひどさを、知らないはずがあるものか。
「なのに彼女は、的場瞬に自宅の電話番号を教えた。………もちろん相手が、有名なフィギュア選手と言う事で信用した事もあるんだろうけど、『万が一に備えて』って言う、あまりに不確かな理由でね。そして事件当日、現に彼女の携帯電話は警察に没収され、彼女の自宅へは会えないと言う電話が入った。携帯にじゃなく、自宅の電話に、だ」
「それが何か………」
 今ひとつピンと来ない村雨とは対照的に、伊周が『若旦那』の会話に食って掛かる。
「何言いたいのよ、あんたは! ………まるで的場瞬が、エリちゃんの携帯電話が警察に没収されるのを分かってて、あえて自宅の電話番号を聞いておいた、みたいな言い草じゃないのさ!?」

 ───そう叫んでしまってから、伊周は目に見えて顔をこわばらせた。
 心ならずも、知りたくもない残酷な真相にたどり着いてしまった………そんな表情で。

「………じゃあ逆に尋ねるが」
 『若旦那』の声も面持ちも、完全に凍り付いてしまっている。
「どうして天野さんはこの炎天下、仮にも有名フィギュア選手と公園で待ち合わせなんてしたんだい? 喫茶店とか、もっと快適な場所があるんじゃないのか? 
───理由はたった1つだよ。他ならない、的場瞬が………提案したんだ」

 彼女を殺し、それを通りすがりの引ったくりの仕業に見せかける、それだけの為に…………。


 言わずとも。
 3人の男の心の中では、同じ疑念が確信へと遂げつつあった───。



《続く》